野良猫のつぶやき

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2002年3月4日  仕事するということ

先日、昔のバイク友達から久々に電話があった。何かと思えば、論文の題を英訳してほしいとのこと。社会福祉系の短大(大学?)で講師をしているのである。私が英語がよくできると勘違いしているらしいが、普段英語なんかと無縁な生活をしているのは彼女とかわらない。薄っぺらな和英辞典をひっくり返したとて訳文が思い浮かぶわけもなく、ネット上の翻訳エンジンを使ってみた。受け取った和文のままではとてもまともな英訳は得られないので、だいぶ言葉を付け足したり言い回しを換えたりして、それでも出てきた英文が英文としてまともなのかどうかなんて、さっぱり判断できない。
   実は英語の通訳をしている友人がいる。ほんの一文くらいええやろ、と思って「お金出せないんで、あつかましくて悪いけど」と気軽にメールで頼んだ。いちおう、自分の訳案もつけて。でもほんの一文といいながら、題名である。もとの題名一文だけ見せられても、とても訳などできない。頼んできた友人に論文の概要を要求して、通訳の友人に横流しである。
   先ほど返事が返ってきた。文章なら多少日本人的でも個性の一つとしていいだろうけど、タイトルはそうもいかない、と、ネイティブの夫の目を通した訳文を送ってきてくれた。当然、私の訳案などかけらも残っていない。それでもって、「いちおう翻訳でお金を取っているので」今後はこういうのは勘弁してくれ、と付け加えてあった。やっぱり私以外にも気軽に頼んでくる人がいて困っているらしい。
   自分はいつもなぁなぁで仕事してるもんでその感覚になってしまって申し訳ない、などと言い訳のメールを送ったが、確かに考えてみれば翻訳を商売にしている彼女にとって英訳文は商品そのものである。
   前々からうすうす感じてはいたが、自分は仕事ということに対する考えが甘いんやなぁ。。。

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