野良猫のつぶやき

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2001年4月15日  ちゅーりっぷ

HPの表紙写真をチューリップに換えてみた。もういっぱつ構図も色合いもよろしくないんだけど、もうねたがないのである。困った困った。

チューリップはかつて私の識別記号だった。幼稚園に上がったとき、まだ自分の名前も読めなかった私が自分の持ち物を識別できるように、母親は私の持ち物にチューリップのマークをつけた(もちろん、他の人にも識別できるように、チューリップの後ろにひらがなで私の名前も書いた)。幼少のみぎりであるからあまり憶えていることはないが(入園式でへまこいたこととか。。。)、いつも持たされていたガーゼのハンカチに、赤いチューリップマークが刺繍されていたのはよく憶えている。

そんなことを思い出して、数年前の誕生日に、夫にチューリップの花束をねだった。当日、夫は忘れたふりをして(というより、ねだった私自身が忘れていた。。。)、夕食後に一抱えもあるチューリップの花束を出してきてくれた。さぞかし高かっただろう。なんとなく値段は見積もれそうだったが、やはり気持ちが大事だということにしてやめた。チューリップと一緒に記念写真を撮った。あとから、きれいなチューリップの横にあばた顔が写った写真を見て、自分は写真に入るべきではなかったとつくづく思った。
   次の年は、チューリップの鉢植えをくれた。鉢植えだからちゃんと管理すれば例年チューリップを楽しめるはずだったが、球根を掘りあげずに放置してしまったため、1年限りとなってしまった。惜しいことをした。
   その次の年は、。。。何をもらったか思い出せない。で、はっきり憶えているのは、今年は何ももらっていないということである。だからといっては何だが、今日の夫の誕生日には何もあげていない。いや、決して自分がもらわなかった腹いせではなく、単に用意するのを忘れただけである。ん〜、誕生日自体は忘れていない、はずだ。ケーキだけ食べた。胸焼けがしている。もう若くない。

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2001年4月8日  さくらさくら

月初めに表紙の言葉を書き換えたころは、仕事もひと段落かと思ったが、もう一山残っていた。まぁ、見通しが甘かったということである。本当は金曜日中と言われていた図面がようやく書きあがった。明日元請さんが役所協議に出かけて、また突貫で数量計算である。本当は今すぐにでもはじめたほうがいいのだが、別件で少し問題が出ていて(私が各種検討を先送りにした報いなのだけど)、そちらを先にやっとかないといけない。いずれにしろ、もう今日は閉店。気力・体力とも限界である。はにゃ〜。

仕事の合間にふと窓の外を見ると、白いものが落ちてくるように見えた。ごみか、と思いきや、さくらの花びらだった。
   見通しが甘かった頃は、今年は仕事も早く片付き、さくらの開花も遅れているから、ゆっくりさくら見物にでもいけるかと思ったが、結局仕事は長引くし、遅れていたさくらもここ2日ほどの異様な暑さで一気に満開になってしまった。
   夕方、元請さんに返却する資料を宅急便の営業所に出しに出かけた。ちゃりんここいで桜並木をくぐっていった。新卒で就職したとき、研修で四国から京都に来ていた同期の子が、「京都って、さくらが多いなぁ」と言っていた。そうかな、そうかもしれない。うちの近所も街路樹やら公園の歩道やら、さくらがたくさん植わっている。

進学のためにはじめて京都へおのぼりしてきた春、その年も今年のように遅い時期まで雪があったりしてさくらの開花は遅かった。授業の合間に友人たちと哲学の道へ、満開のさくら見物へ出かけた憶えがあるから、今年よりもまだ遅かったかもしれない。
   自分はたまたま京都の学校に受かったから京都へ来たけど、それまでは京都になんかほとんど興味がなかったから、哲学の道と言われてもどこのことやらわからなかった。ただ、疎水べりということだけ知っていたらしい。下宿へ戻る道に疎水があって、その傍にもさくら並木があるのを見て、もしかするとこれが哲学の道か?と思っていたが、それはただの疎水べりの生活道路だった。ただの生活道路の、それでも見事なさくら並木に沿って下宿へ戻って玄関のドアを開けると、土間にさくらの花びらが一枚落ちていた。立て付けの悪い古いアパートだったから、ドアの隙間から舞い込んできたようだ。ぼろい家っちゅうのもよいもんだと思った。もう十年以上前の春の話だ。

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