野良猫のつぶやき

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2001年1月31日  梅が咲いたのだけれど

ベランダに置いてある鉢植えの2つの梅の片方が咲いた。例によって我が夫撮影の写真である。私も早く自分のデジカメがほしい。

梅が咲いた

咲いたのだけど、半開きだ。去年もおととしも、このまま花が終わってしまった。今年はまだ開いているほうだ。
   こういう品種なのか。んなわけない。買ってきたときは、普通に開いていた。
   栄養状態が悪いんだろうか。長浜盆梅を見にいった先で買ってきた年に植え替えたきり、2年ほどほったらかしだ。ちょうど繁忙期が植え替え適期(花が終わってから葉芽がふくらむまで)だからなぁ。。。今年こそはきちんと植え替えてやりたいもんである。

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2001年1月30日  名前の説明

野良猫は、その名前を「順子」という。こんなところで本名など公開する気はないのだが、私くらいの世代では掃いて捨てるほどいる名前だから、この程度で個人を特定されることもなかろうと思って書いている。
   「順子」と書いても掃いて捨てるほどいるが、漢字を特定しないともっとありふれている。今思いつくだけでも「淳子」「純子」「潤子」など出てくる。
   私自身の希望としては、「潤子」にしておいてほしかった。画数が多いからか賢そうに見えるし(?)、「潤う」というイメージは非常によい。が、いまさら仕方がない。わざわざ改名届をする気にもならない。

とりあえず、書き方のバリエーションの多い名前なので、電話などで伝えるときは必ず字の説明が必要になる。
   他の「順子」さんたちがどうしているのかは知らないが、私はいつも「順番の順です」と伝えている。自分でそう言っているものの、実は気に入らない。名前の説明として、非常にかっこ悪いと思っている。だから、「うるおう子と書きます」なんて説明のできる「潤子」という字がよかった、なんて言っているのだ。

そんな愚痴を学生時代に口にしていたところ、同じ研究室の中国人の人が「順調の順です」と言えばいい、と提案してくれた。「それはすばらしい。今度からそれ使ってみます」と喜んだ。
   早速アルバイトの申し込みの電話口で「順調の順です」と伝えたところ、「『さんぼんがわ』の『じゅん』ですね」と言われたので、「おぉ〜、ばっちりやんか」と喜んだ。数日後、そのバイト先に出かけると、名簿には「純子」と書いてあった。「純」のどこに『さんぼんがわ』があるんじゃ。教えてくれや。

というわけで、かっこ悪いけど確実な「順番の順」に戻ってしまった。

あるとき、業界紙の定期購読を申し込むために、ある業界団体に電話をかけた。電話口の、声の調子からするとあまり若くなさそうな男性は、「順番の順です」と告げると、「ああ、旅順の順ですね」とうれしそうに言い返してきた。大陸からの引き上げ世代だろうか。歳がばれちゃうよなぁ。。。(ちなみに、私の両親とも大陸生まれの引き上げ組である)

そう、「長渕剛の『順子』です」 でもいいと思う。でも、どのくらいの世代まで通じるんだろう?

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2001年1月26日  いちげんさん、いらっしゃい

おとといの夜から、胃の調子が思わしくなくて、摂食恐怖症に近い状態だった。昨夜の夕飯は何とかおかゆと湯豆腐を中心に並みの量を食べたが、やっぱり普段の倍近くの時間がかかった。
   ん〜でもって仕事場にもどったら、「溜まり場」に「のり」さんという見慣れない名前の書き込みがあった。「はじめまして」とある。
   おぉ〜〜〜、いちげんさんだ。たぶん。心当たりがない。
   また来てくれるかなぁ。来てくれるとすごくうれしいなぁ。

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2001年1月25日  カウンタが1,000を超えた

って、もう一昨日(1月23日)のことなんだけど。
   午後3時ごろだったかから、「溜まり場」への書き込みが妙に多くなってきた。おやつ休憩かな、と思いつつ他所の掲示板を覗くと、「あの場所がもうすぐ1kみたいです」なんて書いてある。あの場所って、どこや?うちか?と思ってみると、確かにもう表紙のカウンターが980になろうとしていた。
   あれよあれよといううちに、カウンタは1,000を突破してしまった。ちょうど1,000カウントを確認したのは一お連もぐさんだった。まじめに狙っていたのか、たまたまだったのか、もうひとつよくわからないけど、カウンタをキャプチャーしてくれているので、狙ってたんだろうね。

約2週間で1,000カウントというのが一般的に見て多いのか少ないのかよくわからないけど、少なくともここみたいにコンテンツの貧弱なページにしては妙に多いんじゃないかと思う。「溜まり場」の常連さんたちがカウンタを回してくれるからだろう。一見さんは「な〜んや、何にもないやん」とそれっきりだろう。
   もちっと、なんか作らんとなぁ。ちょっと考えてるんだけど、JavaScriptなるものが必要らしいんで、仕事が一段落してからだ。

それはともかく、「溜まり場」の「カウンタを呼ぼう」作戦がいまだに成功しない。tcup(掲示板運営業者)からの合格通知が来ないのだ。この程度ではあかんのか。この調子だと、もうすぐ手動カウンタの桁が足りなくなるぞ。

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2001年1月23日  最初の記憶

人の記憶っちゅーのは、いつ頃から残っているのだろう。
   私が今現在記憶している最初の出来事は、幼稚園の入園式である。
   いや、ほんとは、その少し前の4歳の誕生日のような気もする。転勤族の家で3月に生まれた私は、引越しのさなかにようやくケーキを置く場所を確保したテーブルの隅で誕生日を祝ってもらった憶えがある。でも、幼稚園にあがる1年程前から同じ場所に住んでいたような話も聞いたので、単なる思い違いかもしれない。

とにかく、一番確実で鮮明な記憶は、幼稚園の入園式だった。
   教会にくっついた小さな幼稚園で、1学年(と幼稚園も言うんだっけ?)1クラスしかなかった。下から赤組・黄組・青組である。早生まれだった私は、一年目に上がるときにはあまりに小さく、とても幼稚園に上げられる状態ではなかったとのことで、2年目の黄組から入った。そもそも、親父は私を幼稚園に入れる気などなかったらしいが、私が行きたいとせがんだそうである。もちろん、入園式の前のことなので、私の記憶にはない。

そんな小さな幼稚園の入園式。私も他の子供たちと一緒に、幼稚園で一番大きな部屋の真中に丸く並べられたいすに座って園長先生の話を聞いていた。
   私は入園式が始まる前に、その部屋の隅におもちゃが並べられているのに気が付いていた。そのなかに、私がいつもデパートのおもちゃ売り場で見ていて、欲しくてたまらなかったものがあった(結局、それを買ってもらうことはなかったような気がする)。プラスチック製の中空のボールで、周囲にまるや四角や星型の穴があいていて、その穴に同じ形のブロックをはめ込むおもちゃである。園長先生の話し中、私の頭の中はそのおもちゃのことでいっぱいだった。

「それではみなさん、これからみんな仲良く遊びましょうね」という園長さんの言葉を聞いた瞬間、「挨拶が終わった!」と思った私はすっくと立ち上がり、他のみんなに取られる前にとダッシュでおもちゃたちの待っている部屋の隅っこへと走った。当然、はめ込みボール(なんて名前だったかどうかは知らない)が目的である。至福の瞬間であった。
   なぜかはよく憶えていない。デパートでいつも見ていたのに、実際にさわって遊ぶ機会がなかったようなのである。これからは毎日これをさわって遊べる。。。一生懸命ブロックをはめ込んでいたのだと思う。そのとき、すぐ後ろから私の名を呼ぶ声があった。

「○○ちゃん、○○ちゃん」と、小さい声だった。振り向くと、母親が恥ずかしそうに笑いながら私の肩を叩いている。そのずっと向こう、部屋の真中付近で、私以外のすべての子供が先ほどとまったく同じ場所で丸く並べられた椅子に座り、みんなで歌をうたっていた。
   入園式はまだ途中だった。

そのあと、別に先生にも母親にも叱られた憶えはない。ただ、最初からはみ出した子だったことは確かだったようだ。

これが私の最初の記憶である。それがどうした、といわれると、困る。

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2001年1月21日  雪の日に

昨日、雪の日に植物園に出かけた。

地下鉄の階段から

   地下鉄の入り口から出ると、雪が5cmほど積もっていた。まだほとんど誰にも踏み固められていないので、油断して踏み込むといきなり滑った。入場口までへっぴり腰でひょこひょこ歩いていった。
北エントランス
   さすがに人影は少ない。でも皆無ではない。こういう日こそ、喜んでやってくる人がいる。
北エントランス拡大
   上の写真の右のほうを拡大すると、画素数が少ないのでわかりにくいが、おじさんが写っている。写真を撮りにきているのである。人は少ないわ、雪は白いわで、絶好の撮影日和なのだろう。
ふんすい
   人が少ないから、当然足跡も少ない。普通の観光地は、朝一番にでも来ないと足跡がべたべたつきまくっているから、写真に撮ってもいまいち絵にならない。しかし、足跡がほとんどないところでも、写真家の腕が悪いとばっちり足跡が写る。
   いまどき、PC上での画像編集なんて簡単だから、足跡だって日付だって消せるんだけど、左の写真は面倒なのでそのままである。
池
   落葉樹の多いエリアでは、限りなくモノクロに近い世界だ。そんな中で急に強い香りがした。
ろうばい
   梅林のすみっこで、満開のろうばいが雪をかぶっていた。
   よくみると、ちらほらと紅梅も咲いていた。でも、目を凝らして探さないとわからない程度である。
広場
   植物園の中で一番植物の密度が低いと思われる中央の広場に、なぜか一番人が多く集まっていた。といっても、10人もいなかったが。
   みんな、雪だるまを作っていたのである。写真では何か固まりがある程度にしか見えないが、それぞれが雪だるまである(実はミニなかまくらも混じっていた)。
雪だるま
   せっかくなので、ひとつ追加して帰った。しかし、なにぶん雪が少ないので、毛むくじゃらのだるまになった。

というような植物園行きだった。今日は趣向を変えて(?)絵日記型式としたが、おもしろくないねぇ。。。せめて写真がもう少しきれいだったらいいんだけど。

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2001年1月19日  「カウンターを呼ぼう」作戦

お気づきのとおり、「溜まり場」が大変な状態になっている。「カウンターを呼ぼう」作戦進行中である。昨日の午前11時代にカウントが始まり、昨夜12時の時点で139カウント。あと2日ほど続く予定である。

「カウンターを呼ぼう」作戦の趣旨説明を見た人は気がついただろうが、私はここのHPのアクセスログを見ている。ここのHPはまださほど多くの人に知らせていない。いつの間にかリンクを貼ってくださっている人は多いが、おおむね多数のなかのひとつなのでそこまで知名度が高いとは思えない。しかし、「こんなところから、誰がアクセスしているんだろう?」というようなホストがいくつかある。そこそこ頻繁に現れるから、余計に気になる。

ちなみに、アクセスログからどの程度のことがわかるかというと、職場からアクセスしている場合は、職場の電話番号までわかったりする。Niftyだのocnだの大手プロバイダ経由の場合は、それでも都道府県レベルまでわかる。後は、使っているOSやそのバージョンなど。

実は、昨日の午前中あたり、あの有名なゆびとまの、自分のデータにここへのリンクを貼っつけた。そのせいか、今日ログのなかに思わぬ場所からのアクセスログが残っていた。
   う〜ん、こんなとこに知り合いがいるみたいだ。誰だろう。わからん。

この際、どさくさにまぎれて、新しい人からの書き込みがあったら面白いのに、と思っている。でも、やっぱり普通の人は書き込みにくいかな。よりによって、昨日今日はじめてここを見た人は、「日がな一日、なにやっとるんじゃ、こいつら」と思うんだろうか。。。

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2001年1月18日  つぶやき/つぶやき

文章をだらだら書く癖が治らない。
   このつぶやきも、一回一回、異様に長いような気がする。というか、日を追うごとに長くなってきたような気がする。良くない。
   長くても、短い時間で書けるのならまあいいんだけど、長い分、時間もかかっているんだな。最近の野良猫の夜更かしは、つぶやきの更新によるものが大きい。

ほんとは、書く時間の長い短いは別にして、短い文章を書けるようになりたいのだ。

高校時代、一期上の先輩たちが同人誌を作っていた。手書きのガリ版刷である。「青春」なんてちょっと気恥ずかしい題名がついていた。
   そのなかに、憧れの水泳部のお兄さんも投稿していて、その人の文章はものすごく短かった。字が大きかったから(みんな自筆だったからねえ)、見た目よりももっと短かっただろう。でも、十分味があった。

はじめて就職した会社で、3年目くらいのときに、技術者上がりの専務が作った業務計画書を見た。各項目1行ずつくらいしかなかった。でも、それで内容は十分だった。(もっとも業務計画書だから、そもそもたくさん書くような内容はないんだけど)

いまだに、簡潔な文章と、だらだらした自分の文章との違いが何なのか、よくわからない。考えてみると、簡潔な文章を書きたい、と願うだけで、そのための努力はほとんどしていなかった。

で、今日のつぶやきも、内容の割に長くなってしまったような気がする。でも、そもそもつぶやきってそんなもんか。そういうことにしとこっかな。

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2001年1月17日  KSD事件

最近ニュースもろくに見ないし、新聞も見たり見なかったりで、まったく世間から取り残されている野良猫だが、今日の夕飯食べながら見ていたニュースについて思ったこと。

参議院議員(すでに辞職しているらしいので「元」か)が、KSD会長の戦略の実現を後押しするような国会での質問をして、その見返りに金を受け取った容疑で逮捕された。受託収賄ってやつである。ちなみに私は最近まで「じたくしゅうわい」かと思っていた。じゃあ、事務所で受け取った場合は「事務所収賄」か。

しかしニュースを聞いていると、金の受け取りさえなかったら特に問題のない、議員として普通の活動のような気がする。逮捕された議員は、見返りの金がなかったらKSDのおっさんの意向に沿った質問などしなかったのだろうか。そもそも金を受け取ること自体、本来悪いことなのか。
   最近は労働組合なんて弱くなっちゃってるけど、昔は組合の職員とかで組合費で生活してる人なんかたくさん議員になったりしてたんじゃないだろうか。もちろん選挙資金も労働組合が用意する。労組から金もらって労組に有利な政策を実現するというのが、KSDのおっさんから金もらってKSDのおっさんの思惑を実現するような国会質問するのと、どう違うんだろう。

やっぱり大きく違うのは、金もらっている、で金くれた人あるいは団体の言うことを聞いている、と言うと聞こえが悪いな、金くれた人の利益を追求しているとでも言い替えておこうか。そういうことが公に知られているかどうかということなのかな。労組に推されて立候補した人は、労組に有利なことばかり考えていることが誰の目からも明らかだから、組合員や、労組と関係のない人や、それぞれなりに判断してその人に票を入れたり入れなかったりする。
   逮捕された議員だって「私はKSDのおっさんから金もろてます。でもそれだけではなく、おっさんの考えに共感して、おっさんの言うような外国人労働者受け入れ促進や、ものづくり大学創設に力を尽くします」と、選挙のときに堂々と言えばそんなに問題ないんじゃないだろうか。それでも票がたくさん集まって当選したんなら、別にそれはそれでいいだろう。
   まあ、そんなことはないんだろうけど。

もうひとつ、気になったこと。
   労働省(今度、厚生省とくっついたんだっけ)の役人が、インタビューに答えていた。例の外国人労働者受け入れ促進とものづくり大学創設の動きは前進しているそうだが、それは労働省で検討して決めたことで、逮捕された議員が質問したこととは関係ない、というのだ。じゃあ、そういう政策は官僚たちが自分らで会議して決めることで、国会で議員どもがやいのやいの言い合いしてるのは関係ないのか。
   その議員一人だけの質問では。。。ということだろうか。それはちゃうやろ。質問したのは一人の議員でも、その議員に票入れた有権者の代表意見と考えれば、うん万人〜うん十万人の意見かもしれないじゃないか。そりゃあくまで建前で、今回の場合はKSDのおっさん一人分の意見だったけど。
   ん〜なことを考えると、議会とか代議員制ってなんだろう、と思ってしまうねぇ。

KSDの宣伝には、財津一郎なんか出てたけど、こんなことになっちゃったらかなわないねぇ。まあ、あんな人は商売でやってるんだから、そんなこといちいち気にしてないのかしら。

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2001年1月16日  「けばい」掲示板

気が付いたら、15日は終わってしまっていた。ということで、15日の「つぶやき」はない。
   しかし、「溜まり場」のほうでは、ぶじぶじつぶやいている。とにかく、仕事中も関係ないことばっかり考えている野良猫であった。

あまり、というより、かなり色彩センスの足りない私であるが、HP作るにあたって、それなりに色使いは考えた。といっても、とりわけテーマがあるわけではない。
   表紙は黄色にしようと思った。子供のころから寒色系が好きだった私には、もっとも興味のない色−好きではない、かといって嫌いでもない、でもまず選ばない色だった黄色だが、最近割と好きなのである。わざわざ黄色いものを買うことも増えてきた。きっかけがあるのかないのかも思い出せないが、人の嗜好というものは年を経て変わるものだ。

表紙から入った先のページ、といっても今のところこの「つぶやき」ページしかないのだが、このページも、なんとなく同じ色になってしまった。別の色にしてもいいような気もしたが、とりあえず統一することにした。別の色を考えるのがめんどくさかったのである。

それなのに、掲示板はまったく違う色になった。正確に言うと、HPの色が掲示板とまったく違う色になった。掲示板のほうが先なのである。去年の秋頃、「私も年内にはHPを。。。」などと言っていたが、クリスマスも過ぎてまだ題名しか決まっていなかった。私は何でも始動が遅い(始動してからも遅いけど)。HP作成になかなかとりかかる気が起きないまま、あんまり頭を使わなくてもよさそうな掲示板の準備を先にすることになった。
   あまりあてがなかったが、割とみんなが使っているのでtcupを使うことにした。レスがつけられないのが書き捨て掲示板としては都合がいい。まとめレスOKである(自分で勝手に決めている)。

この掲示板は、背景色と文字色が自分で決められる。やっぱり、私が好きなのは寒色系であるが、ちょうど今の時期、青は寒寒と感じるような気がしてやめることにした。あと好きなのは、紫と緑である。紫を探した。しかし、選択肢は相当数あるはずなのに、私には似たような色ばかりに見えた。なぁ〜んか、しっくりくる色がない。で、次に緑を探した。当初は明るい緑色を考えていた。しかし、いっつも巡回している一お連の人たちの掲示板って、結構明るい緑色が多いのだ。
   う〜、人と一緒はいやだー。ということで、濃色を背景に、明るい文字色を使うことにした結果、今の「溜まり場」の色(#228b22(注:溜まり場のデザインは、1月17日に変更しました。変更前のものはこんな感じ))が決まったのである(と簡単に言うけど、濃色にしようと決めてからも結構悩んだのよ)。

ふむ、それなりにいい感じだと公開をはじめてから3日ほどして、どうも掲示板の色が目にやさしくないような気がしてきた。むかし、緑色は目にやさしいという話を聞いたことがあるが、それは明るい緑色のことのようである。自分の掲示板を見てから、ほかの人の掲示板へ移動すると、ほっとすることすらある自分に気がついた。そう思ってみると、背景にこんな濃い色を使った掲示板はあまりないような気がする。
   う〜む、自分も含めてここへくる皆さんに息抜きしてもらおうと思って作ったHPなのに、目を疲れさせてしまうのではいまいちだなぁ。

と、ここまで書いて気が付いた。「けばい」のは掲示板だけではない。表紙や、この「つぶやき」ページも実は大変「けばい」のではないだろうか。。。私はこのつぶやきページをエディタで打っているから、実際の画面は体裁の確認程度でしか見ていない。掲示板は四六時中見ているから(仕事やっとるんか!)気になっていたが、実は私のHPは疲れ目サイトになってしまっているのではないだろうか?

ここを見ている皆さん、このHPを見て目が疲れませんか? そして、色彩に詳しい人、教えてください。せっかく選んだこの背景色のイメージをあまり変えずに、でも目の疲れない画面にするには、どうしたらいいんでしょう?

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2001年1月14日  寝たきり青年の話

もう半月ほども前の話になってしまうが、正月は愛媛の実家へ帰っていた。新年会に出席するためである。新年会がなければ、まず帰省しないと思う。まったく親不孝者である。

新年会は、高校時代の部活のOB会である。野良猫は高校時代、お歌を歌っていたので、そういう部活である。高校卒業直後の若造から、50過ぎのおじ様おば様まで、年齢層は幅広い。出席予定者の名簿を見ていると、同世代の名前がまったくない。その上、若造は若造で、おじ様おば様方はおじ様おば様方で固まってしまって、入り込む隙がないという状況でちょっと不安に思っていると、同期および1期上の人たちが、これまた固まって現れた。
   挨拶もそこそこに、一期上の先輩が「Kが入院しとるんよ。見舞いに行ったげて」と言う。どうしたのかと聞くと、手足が動かなくなったんだそうだ。おそるおそる「難病ですか?」と聞くと、「ううん、奇病」という返事が返ってきた。彼の定義によれば、難病は珍しい上に治らない病気、奇病は珍しいけど治る病気らしい。実際はどうなんだろう。Kは進学で移り住んだ愛知でそのまま就職していたが、病気になって愛媛の病院で入院しているらしい。
   私は翌日の夕方に京都の自宅へ戻る予定だったのでどうしようかと思ったが、Kとはもう5年近く会っていないし、次にいつ会うかもわからない。Kは去年の8月から入院しているとのことだから、ひまでひまで死にそうにしているだろうことは想像に難くなかった。というわけで、その晩はしこたま飲んで、深夜にへべれけで実家に戻ったが、翌朝、とりあえず朝と呼べる時間に起きて、Kに会いに出かけた。

病院は、名前からしてリハビリ専門の病院らしかった。Kは車椅子に座ってノートパソコンに向かっていた。ゲームをしていたらしい。アルミの細いフレームでできた器具に腕を吊っているので何かと聞くと、これで吊っていないと腕をひじから上に上げることもままならないらしい。車椅子に座って起き上がれるようになったのも、つい1ヶ月ほど前からということだった。
   うっかりして病名を聞くのは忘れてしまったが、脊髄の運動神経をウィルスにやられてしまったということだった。数万人に1例というまれな症例らしく、「くじにあたったようなもんだ」と言っていた。
   一番最初は、指が動きにくくなったと言う。Kは地方の民放局でディレクターをしていたが、キュー出し(録画開始前に数を読むことらしい)のときに、5、4、3、と指で数字を見せないといけないところ、指が曲がらなくなった。「あ〜、キュー出しできませ〜ん」などと、最初はのんびりしたものだったらしいが、じきに体のあちこちが動かなくなってきて、1週間後には身動きができないどころか、呼吸をするのも困難な状況に陥ったらしい(筋肉を動かす神経をやられたもんだから、横隔膜も動かせないのだそうな)。

と、ここまででずいぶん長くなってしまった。続きはまた今度にしよう。じつは、この記事についてK本人の承諾はまったく得ていないんだけど、伏字だからまあええやろ。

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2001年1月13日  掲示板徘徊 その2

今日はやっぱり11日の続きにしようかな。

一昨年の10月から、自宅の一室で、一人で下請け仕事をしていた。とりあえず、雑談する相手もいない。さびしくてたまらないのであった。仕方ないので、ネットサーフィンをしていた。
   最初は恋愛相談のようなところを見ていた。見始めたころ大変な盛況で、見に行くたびに新しく発言が増えていた。「二股かけてしまって、にっちもさっちもいかなくなってしまった」というようなものから「毛深いので彼氏と思い切って付き合えません」「太っているので彼女ができません」というような他愛のないものまで(本人にとっては深刻なんだろうけど)、色々であった。ちょっと意外だったのは、容姿が悪いために恋人ができない、と嘆く男性が多いことだった。たまたまそこにそういう発言が集まっただけなのかもしれないが、男性は女性に比べると容姿のことをうんぬんされにくいから羨ましい、と思い込んでいた私には新鮮だった。というより、「そんなしょーもないことで、悩むなよなー」という感じだった。

しかし、そういうところにははやりすたりがあるのか、じきに新しい発言がぱったりとなくなってしまった。で、私に残った主な巡回先は、EBA's IntelliCadのユーザ向けBBSとVCC会議室群となった。
   前者は私が常用しているCadソフトのサポートサイトである。ここに書き込む人は、もちろん私のようなあらゆる面での素人も少しはいるが、大半は両の肩から先がキーボードと一体化しているような人たちらしく、昼夜、曜日に関係なく、何らかの書き込みがあった。といっても、半分くらいは私のまったく理解の外にあるプログラミングのお話で、知らない人たちがいろいろやってるんだなぁ、という感じである。
   後者は土木設計関連のお勉強部屋である。部屋がたくさんあるから、どこかには新しい発言がある。といって、寂しさを紛らわすほどの発言頻度ではない。
   とにかく、そんなあたりを覗きながら、人の滑動する気配を感じてさびしさを紛らわしていた。

そんなある日、IntelliCad BBSの番外編(今は私の知らない違う場所に行ってしまったらしい)に、ひらぱさんの掲示板のリンクが張られた。「ここがおやじ達の生息地らしい」というコメント付で。
   なんだろうとリンク先にアクセスした私の目に入ったものは。。。

というところで、今日はいいかげん長くなったので、もうやめ。続きはまた今度。

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2001年1月12日  著作権問題

昨日のお題が「掲示板徘徊 その1」で、終わりの文句が「続きはまた明日」なんだから、今日は当然「掲示板徘徊 その2」とおもいきや、そうはならないところが気まぐれな野良猫の野良猫たるゆえん。

著作権問題なんてごっつい表題だけど、何のことはない、昨日の溜まり場での話題をそのまま持ってきただけの、せこ〜い更新なのだ。
   事の発端は、おととい私が溜まり場に貼っつけたカエルちゃんの画像であった。↓

トリミングされたカエルちゃん

「構図がいい」だのほめていただいていい気になっていたが、実はこれを撮影したのは私ではなく我が夫である。まあ夫の手柄を横取りする気もないので「ほめられてるよ」なんて言ってやると、本人はなぜかおかんむりなのであった。私の画像の貼り付け方、というか、貼り付ける際に画像をかなりカットしたのだが、そのトリムの仕方がなっていないというのである。

(元の写真はこれだ↓)

オリジナルのカエルちゃん

夫いわく、「カエルちゃんが2匹いて、その並びかたで撮ってるのに、1匹だけアップにしてどうするの」
   夫の「作品」そのものの良し悪しはともかく、私は作者の意図を無視した引用をしてしまったわけであった。

こんな話って、これからどんどん出てくるんだろうなぁ。やってしまったり、やられてしまったり。なかなか難しい。気にする人は気にするし、逆に「その程度のこと」とまったく気にしない人もいるから、余計にややこしい。。。

それにしても、yhさんのHPで教えてもらったToClip Hyper、便利だ。やっと段落の頭の下げ方がわかった。
   まったくレベルの低いところで苦労しているけど、まあ、最初はこんなもんでしょ。今日はここまで。

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2001年1月11日  掲示板徘徊 その1

隠れ家を公開した昨日は、おかげさまで大変な盛況であった。5分もかからずにすべてのコンテンツを見通せるような貧相なHPに、よくもこれだけ人が来てくれたものである。やはり、掲示板徘徊を趣味とする人たちとお友達になったからだろう。また、ちょうどここ何日かのうちに一お連界隈を徘徊するようになった人たちの出現とも重なったようで、「新しい」人たちが掲示板に書き込んでくれたこともすごくうれしい。

でも「新しい」人たちは、ここ何日かで徘徊をはじめたわけではなく、しばらく前から徘徊していたんだろうな。

自分に即して考えると、掲示板の書き込み方には2パターンある。ふらっと来て、ぱっと書く場合。もうひとつ、行きつ戻りつしばらく眺めていて、何かのきっかけで書き込む場合。前者の場合、次回というのがあまりない。後者の場合は、それからも徘徊する。

一お連のひらぱさんの掲示板(「元祖!」ってやつです。探してください)は、私にとって後者だった。あの場所を知ったときの驚きったら、なかったなぁ。

ちょっと風邪気味だし、明日の仕事(って、これは真夜中に書いているのであった)もあるんで、続きはまた明日。

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2001年1月10日  隠れ家公開に際して

とうとう私も自分のホームページなるものを作ってしまった。つい半年ほど前までは、想像もしなかったことである。

昨年9月頃から一お連の人たちの掲示板を荒らすことをおぼえてネット中毒症になったのだが、あるとき、荒らされる人たちは私に仕返しができないのだということに気が付いた。そっかぁ、私だけ宿無しだったのだ。

というわけで、自分も年内にはおうちを作ります、などとどこかに書いたりしたような気もしたが、結局年は明けてしまった。私の場合、万事がこんな感じだからなぁ。おまけに、ネット上に公開して見せるほどのネタがないんだな。

とりあえず、表紙に写真なんか貼ってごまかすことにした。この写真だって、今までに撮ったものを引っ張り出してきただけだ。季節ごとにいくつかスキャナーで取り込んどいたから、当分はいけるぞ。でも品薄な季節があるので、少しずつ補充していかないといけない。本当は音楽なんて鳴らしてみたいけど、そんな方法まったく知らないから、いつになることやら。

そんなこんなで、コンテンツはこれ以上増える可能性があるのか、隠れ家がいつか本宅になったりするのか、はたまた半年くらい経ったら"Unknown"になっちゃうのか、まったく未知数なのである。請う御期待ってとこか。何を期待するんだろうな。。。

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