今のところ、半月に一回のペースで更新している表紙写真です(最初の月だけ、一ヶ月間使いましたが)(ひゃ〜、半月に一回のペースを崩してしまいました〜;'01年9月12日追記)。 以前の写真が見たいなどという人はいないかもしれませんが、自分の備忘録として。
でも、こんなの作ったら、同じ写真の使いまわしがしにくくなるなぁ。。。
晩夏や晩秋という言葉はあるが、晩冬という言葉はあるのか? と思ったら、変換候補に現れたので、私が知らなかっただけだろう。 冬の終わりは、冬を惜しむより春を心待ちにする気持ちが強いので、あまり使われないということなのかもしれない。
寒暖差の激しい冬だったが、2月中旬ころから「暖」側が一層激しくなってきたように思う。 去年から続けている研究フィールドでの定期計測を今も続けているが、年が明けてから人手を頼れなくなったので、独りで作業することが多い。 家を出る六時半過ぎ、しばらく真っ暗だったのが、ずいぶん明るくなってきた。 それでも比良写真を撮るには暗いと思っていたある日、月がきれいだったので写真を撮った。 冬を惜しみ、春を待つ気分だ。
入り口写真も、比良近況すらも、本当に更新しなくなってきてしまった。 けど、まだこのサイトは維持するということで、久々の更新。
昨年の猛暑に対して、この冬がどうなるのかと思ったが、積雪は多め。 冷え方はそこまでひどくなく、なので着雪がひどい。 植木など気をつけないといけない。
写真は、自宅最寄りの駅ホームから西南西を望んだところ。 雲で隠れているのは、打見山というらしい。 山頂にスキー場や観光施設がある。 比良山系の裾に住んでもう7年ほど、「比良近況」だなんてネットに画像を垂れ流しているけど、いまだに峰々の名前すらわかっていないのだから。
本当に、この表紙写真の更新もなおざりになってしまっている。 何だか、少し気持ちの余裕がなくなってきているのかもしれない。 息抜きというか、「遊び」は結構しているのだが、片付かないことどもが頭の隅にあって、日常的な気持ちに余裕がないと言うところか。
そのくせ、用事で外に出たおり、ついでと言ってうろついて、無駄に時間を食っているような気がする。 この写真を撮った日もそうだった。
午前中に京都の街中で用事があって、そのあとついつい商店街を歩く。 次の予定の前に、適当に安い昼食を採ろうと思って歩くうち、ランチの看板が目に入った。 野菜が多そうだというので、さして安くもないのに店に入ってしまう。 自然食の店らしい。 客はほぼ全て女性。 庭に面したカウンターの席に着く。 目の前に背の高いあじさいのようなものが咲いていて、青空が透けてまぶしい。 しかし、ランチはたいしたことがなかった。。。 食べてみて良ければ、友人と遊ぶときに寄ろうか、と思ったが、もう寄ることはないように思う。 この写真だけが収穫かな。
田舎に住んでいると、外出の用事はまとめたくなる。 交通費や移動時間を少しでもけちりたいと思うからだ。 すると、どうしても早く出て遅く帰ることが多くなる。
久しぶりに、明るいうちに帰ってきた。 日が長くなった、ということもある。 田んぼの中の一本道をあるいていると、一面薄く草で覆われただけの田んぼのなかに、1株だけ菜の花が咲いていた。 どこかからタネが飛んできたのだろうが、
菜の花というと一面に咲くイメージが強いためか、少し不思議な姿に見えた。
花というと、美しいもの、かぐわしいものというイメージが強いようだ。 しかし、菜の花やアブラナ科の花について、かぐわしいという言葉は少し違う。 はっきり言うと、ちょっとくさい。 肥やしのにおいである。 子どもの頃、関東平野の畑の多い地域に住んでいたことがある。 通学路に菜の花畑があった。 満開の時期、明るい一面の黄色の畑の横を通ると、におったものである。
購読している地方新聞に、子どもの俳句を取り上げた連載がある。 最近の回で、菜の花が「におうぞ」と詠んだ男の子の句が採り上げられた。 下の句が「んんんんん」である。 これはわかる。 男の子も、くさい、と思ったのだ。 菜の花のにおいを知らず、さらに花は全てかぐわしいものだと思いこんでいる人がこの句を読んでも、「んんんんん」の意味はわからないのだろうな、きっと。
そのことに初めて気づいたのは、去年の初冬の頃だったと思う。 よく晴れた日の夕暮れ、外出先から自宅へ帰る途中、自宅の手前の林にさしかかると、木の上から、ぱちん、ぱちん、と音がするのだ。 ほとんど風はなかったと思う。 なんだろう、その頃近所をうろついていたはぐれ猿か、あるいはカラスか、やや気持ち悪く思いながら見上げると、その音は一つところからではなく、木の上のあちこちから聞こえてくるのだった。 しばらく見上げていると、何かが落ちてきて、地面に当たって、かつん、と音を立てた。 大きな豆のさやだった。 フジのさやが木の上ではじけてパチンと音を立て、落ちてきて乾いた音を立てていたのだった。 もう少しよく見ると、さやの周りには薄っぺらい碁石のような、おはじきのような、フジのタネが転がっていた。 冬の乾いた空気の中で、豆がはじけるのだ。 こういうものを見つけると、田舎に引っ越してきて良かったと思うのだ。
入り口写真にカキノキって初めてじゃないと思ってたけど、紅葉したカキの葉は初めてだったみたいだ。 昔に掲出したのは、カキの花だった。
今回は、夫の実家のカキではなく、最近私が調査をしている山裾のカキ。 本当は、撮影したのは11月上旬で、先日見たら、もうほとんど散っていたけど、街の紅葉はこれからみたいだから、勘弁してもらおう。 ここの更新も、本当に怠慢になってしまった。
このカキノキの葉は、赤と緑が混じって、またそれが日に透けて、見事だった。 見たように写真に写せないのが残念だ。
現地調査は、週に1〜2回のペースで続けているが、作業は思ったように進まない。 独りではできないことも多く、若い学生たちの力を借りるが、彼らの研究と直接関係ない作業に彼らを駆り出すことについて、どう思われているのか、なんだか不安に思うことも多い。 そんな中で、私の妄想じみた話をおもしろがって聞いてくれる学生もたまにはいて、なんだか勇気づけられる。
久しぶりに、梅雨らしい梅雨のようで、琵琶湖の西側では案外降っていないような気もする。 同じ研究室にいるベトナム人講師が、梅雨という日本語を知らなかったので驚いた。 日本に来てから3年は経っていると思うが、そういえばここ数年、梅雨らしい梅雨はなかったろうか?
今年は春の訪れが早かったが、春が来てから涼しい日が多かったためか、新アマガエルの出現がいつもより遅かったような気がする。 7月にはいる頃、目立ち始め、中旬の今は、もうずいぶん大きくなったものも多い。 季節の移ろいを感じられる生活は、不便や苦労も多いけれども、ぜいたくでもあると思う。
この前の入り口写真コメントから、さして学業が進まないうち、新型インフルエンザ騒ぎで学校から閉め出された。 感染力が強いとはいえ、症状は並のインフルエンザ程度ということなら、ここまで過敏に対応しなくても、という気もするが、並のインフルエンザでも感染したいとは思わないし、そもそも体力に自信がないので、自宅待機命令を素直に受け容れ、遊びの予定も取りやめた。 遊びの予定は、少し残念に思っているが、その分、家の中で遊んでいる。 もともとインドアもやし系なので、自宅待機が退屈でつまらない、などということにはまったくならない。
エゴノキは、学校で名前を教えてもらったが、なぜかあまり花を見たことがなかった。 というより、花が咲いているのに気づいていなかったのかもしれない。 この写真の花も、比良写真を撮るついでにほぼ毎日通る道ばたにあるのだが、これだけ鈴なりに咲いているものを、どうしてこれまで気づかなかったのか不思議である。
実は、ここにサクラの花の写真を載せるのは、初めてではないかと思う。 世間がみんな、サクラばかりもてはやすから、わざと知らん顔をしていたというのが正直なところ。 この春は、十数年ぶりの新学期ということで、実際サクラもきれいであるし、載せてみることにした。
春先、水槽で飼っていたアマガエルのうち1匹を、春を迎えさせるのに失敗して死なせてしまった。 花にあふれた明るい春の景色は、春を迎えられなかったカエルのことを思い出させて、複雑な気持ちになる。
十数年ぶりの大学の新学期は、やはり人の多さにうんざりする。 そういえば、20年余り前に初めて大学に上がった頃も、自分と同じ新入生にあふれたキャンパスの雰囲気が苦手で、専門課程のキャンパスに逃げていた。 今のところ、本業も学業も思うように進んではおらず、ちょっと不安なところではある。
とにかく暖冬みたいだ。 たまに大陸から降りてくる寒気も、-5℃なんて生ぬるい。 田んぼの脇では、オオイヌノフグリやらホトケノザやら、どんどん咲いている。 それでも、庭木などは案外普段通りの暦でつぼみを膨らませているものが多い。
写真は、近所の畑の脇に植えられたヤナギ。 ここでは3回目の写真になると思う。 これまでの2回は3月、既に開花していたものだったが、今回はまだ皮が剥けて膨らんできたところ。 なかなか暖かそうでよい写真じゃないかと、文字通り自画自賛。
どうも、暖冬傾向である。 たまに寒気がやってくる。
暮れに一度、まとまった雪が降った。 夜のテレビニュースで着雪注意報が出ているのを見て、だからといってそう簡単に電線は切れないだろうと思ったのだが、換気のために窓を開けて注意報の意味を知った。 ベランダにおいた植木のいくつかが、雪の重みで倒伏せんばかりにたわんでいた。 慌てて枝に着いた雪を払って事なきを得たが、翌朝、近所の竹が何本も折れて、道をふさいでいた。 竹はしなって折れないと言うけれど、折れるときは折れるものだ。
明けて、10日から11日の朝にかけて、再びまとまった雪が降った。 今度も着雪注意報、それから大雪警報まで出た。 積雪深20〜30cm。 雪国の人からすると、それがどうしたという程度だろうが。
再び、竹がたわんで道をふさいでいる。 折れているかどうかは、まだ分からない。(雪が溶けた後に判る) 田んぼに面白い模様がたくさんできた。 一昨日までは比較的暖かい日が続き、雪の間もさほど気温は下がらなかったので、田んぼに溜まった水が凍らず、そこには雪が積もらなかったということだろう。 色のないでこぼこが、石庭を思わせる。
最近ちょこちょこ写真は撮っていたが、文面を書くのが面倒で、結局11月も末になっての更新になった。 この秋は急に寒くなったからか、久しぶりに紅葉が鮮やかなように思える。 比良山の山肌も、私が5年前にここへ移ってきてから、一番鮮やかなのではないかと思う。(比良写真があまり鮮やかでないのは、私の腕とカメラの問題) といっても、この夏はナラ枯れが激しく、8月頃から山肌は真っ赤だったのだが。。。今は黄色も混じっているので、ナラ枯れだけではないはずだ。
この秋は、実りも多いような気がする。 写真は黒いエビヅルの実と、その後ろにサネカズラの赤い実も覗いている。 サネカズラの実は毎年見るが、今年はずいぶん多いような気がする。 エビヅルの実も、これまではほとんど気づかなかった。 単に私が気づいていなかっただけなのかもしれないが。。。
しかし、この秋のドングリの多さは私の気のせいではないだろう。 道はドングリで埋め尽くされ、林の中からは、なおパラパラとドングリの落ちる音が聞こえてくる。 ドングリ、というかシイ・カシ類はなり、ふなりが激しいと聞いていたが、ここまで激しいとは。 なり年にこれだけなるのであれば、逆にふなりの年はまったくならないのだろうか。 と、写真と関係のない話となってしまった。
9月中旬頃から、急に寒くなった。 涼しくなったのではない、寒くなった。 冷たい雨が続いて少し不安なくらいであった。 一時的なものであってほしい。
近所の田んぼ道では、既にヒガンバナが盛りを過ぎた。 ヒガンバナの花の終わりは、焼け落ちる、といった雰囲気である。 ネットのお友達から、火事を呼ぶ花として嫌われる話を聞いた。 うちの夫など大のお気に入りで、庭に植えていたりするのだが。。。
ヒガンバナは蜜が多いのか、アゲハチョウがたかっているのをよく見る。 冷たい雨あがりの朝、アゲハチョウがヒガンバナにとまって羽を広げていた。 チョウはは自分で体温を上げられないので、気温の低い朝など羽を開き、太陽の恵みを受けるのだという。 その朝は曇っていたけど、それでも少しずつ恵みは届いているのだろう。
せっかくなので、チョウの種類を調べてみた。 キアゲハというのだという。 前翅の付け根が黒くなっているというのが特徴だそうで、確かにこのチョウはそうだ。 アゲハなど、黄色か黒か、あとは山の中や外国にいるのがきれいな色だくらいに思っていたが、黄色いものにもいくつか種類があるらしい。 昔、生態系がらみの資格試験の問題で、いろいろな種類のアゲハチョウと、それぞれの幼虫が食べる植物種の組み合わせを答えさせるものがあった。 アゲハチョウなど、ミカンかサンショウばかり食べているものだと思っていたので、いろいろなアゲハチョウの名前と
これまたいろいろな植物の名前が並んでいるのを見て、頭を抱えた憶えがある。 ちなみに、キアゲハの子はセリ科の植物を食べるのだそうな。 おっと、うちのベランダにもミツバが生えている。 気をつけないと。(勝手に生えてきたミツバなんだが)
この夏は、まさに猛暑というべき暑さであったが、秋の訪れが普段より早いようで、農業の方では一部で不安が広がっているらしい。 ベランダや庭で植木を放置しているばかりの身には、朝夕過ごしやすくなったのが何よりという気楽さである。
朝の散歩道にススキの穂が目立ってきた。 やはり、少し時期が早いような気がする。 朝方の傾いた陽に透けると、輝いて美しい。 背景のJRの高架に電車が通るとなお良いのに、と思っていると、ちょうど大阪方面行きの雷鳥がやってきた。 朝方は、残念ながら逆光でシルエットのような状態だが。
この国鉄時代からの古い雷鳥の車両は、乗客の評判が悪いようで、もうすぐ引退なのだそうだ。 そしてこの高架自体、当地の強風による頻繁な運休を避けるために、現在防風壁の設置工事中で、まもなく高架を通過する列車の姿はほとんど見えなくなってしまう。 そろそろ見納めにしては、しょぼい写真になった。
この夏は暑かった。 雨が少なくて困っている地域もあるようだが、いままでのところ、冷夏よりはずっとましなのではないかと思っている。 比良の山腹に真っ赤に目立つナラ枯れは気になるが。。。 冷え性の私だが、この夏はずいぶん汗をかいた。 だが、体重は過去最高水準を保ったまま、食欲の秋を迎えつつある。
写真は、春に咲いたうわみずざくらのその後である。 色とりどりだ。 それぞれがバラバラに実っていくので、いろんな色が揃うのだろう。 盆明け頃から少し雨が多くなり、暑さも峠を越えたという感がある。
毎年、梅雨の頃になると、近所の田んぼからしっぽが縮んだばかりのアマガエルが這い上がってくる。 そして、その中の一部が、水路を越え、林を超え、道を越え、うちの庭までやってくる。 当然、命がけだ。
今年は、うちの庭に居着くチビガエルがずいぶん多い。 最初に見かけた頃は本当に小さかったマメガエルたちも、半月から一月ほど経って、ずいぶん大きくなってきた。 ほとんど無地の黄緑色だった身体も、個体によっては独特の模様が出てくるものもある。
写真のハスのつぼみは、夫が大事にしている小型の八重のハス。 ハスを植えている鉢は背が高く、壁がほぼ直立しているので、なかなか上がってくるカエルは少ないのだが、今年は周りに背の高いものがあるところにおいているためか、割とチビガエルたちがのっていることが多い。
去年の春頃から、ケガをしたアマガエルを飼っているが、そのうちの1匹、一番最初に飼い始めた、片眼のつぶれた子が、私の不注意で事故に遭い、死んでしまった。 ほんの1年ちょっと飼っていただけだが、言いようのない喪失感がある。
実は、ナワシロイチゴの実を見るのは初めてだ。 花は毎年見ていて、この表紙写真にも2年前に出している。 どうしてだろうと考えると、いつもナワシロイチゴの花を見ている場所は、この時期草刈りが入るのだ。 今年は念入りに火まで入れられ、ナワシロイチゴを含む「雑草」たちの激しい生存競争の場は、焼け跡となっている。 焼け跡の中から、早くもちらほら緑をふいているものがあるのはさすがであるが。
で、今年はじめて果実を発見したのは、焼け跡とは少し離れたツツジの植え込みの中だった。 他のノイチゴ類同様、ナワシロイチゴもとげを引っかけて他の木にまとわりつく。 ツツジの繁みの中に花も実も隠れて気づかなかったらしい。 なかなか見目麗しい鮮やかな赤色である。 せっかくなので一粒つまんでみた。 まずくはないが、特においしくもなかった。
背後に見える一面の緑は、この花が咲くよりずっと早くに田植えの終わった水田である。
あいかわらず、仕事もなく、HPの更新もろくにしない日々である。 ぼちぼちと仕事がらみの講習会などに参加し、外出の機会が増えてきているが、外出すると出費がかさんで辛いものがある。 辛いけど他に予定がないから、関西以外での催しの予定なども入れてしまう。 ふと、5年ほど前の、仕事がなくなって出稼ぎするようになった直前期のような状態だ、などと縁起でもない?ことを考えたりもする。
柿の花は、入り口写真では2回目だ。 今や全く更新していないつぶやきでも、一度カキの接ぎ木の話をした。 あれは、いったんは活着したんだけど、その年の夏の終わりの台風だったか、風の強い日に何の対策もせずに庭に並べていたら、強風に揺すられて接いだ部分がはがれてしまったらしい。 やたらと早く葉っぱが散ったのでいやな感じがしていたら、次の春には接ぎ穂からは何も出てこなかった。 台木は至って元気で、今年も葉っぱをつけている。
前回の入り口写真は雌花だったと思う。 今回は雄花だ。 前回の雌花は、その頃住んでいた京都の庭に生えていた木のものだ。 今、うちには花をつけるような柿の木はなく、今回の雄花は近所の空き家の柿の木のものだ。 木に残って実になる雌花と違い、雄花は咲いてすぐに役目が終わり、木から落ちてしまうものらしい。 この写真を撮っている間にも、周りで次々と雄花が落ちていた。 それでもやっぱり、蟻にたかられるのは一緒らしい。
前回、年度末は忙しかったから更新が滞ったなどと書いていたが、年度末明けて極めて暇になった後も、更新は滞っている。 結局のところ、心がけの問題ということか。
うわみずざくらの写真は、以前にも出したことがあったような気がしていたが、2年前に2回連続で出していた。 あの春、4月にはまだつぼみで、咲いたのは5月になってからだった。 厳冬の後だったから遅れたか。 ただ、今年が標準かというと、この冬も1月末から2月の時期を除いて暖冬みたいなものだったから、何とも言えない。 自然現象を見るには、長い期間の観察が必要ということか。
仕事場の引っ越しをした。 といっても、同じ家の中で部屋を変わっただけ。 これまで西向きの小さな窓から比良山系のごく一部を見ていたが、今はベランダへ出る大きな窓を通して、コナラやヤマザクラの若葉を見ている。 開放感があってよいが、これまでの3畳の「個室」と違って、通り道になるため、家の中を行き来する夫から仕事場が丸見えである。 いつもまじめに仕事をしていれば、何ら問題ないことではあるのだが。。。
更新頻度の低い状態を続けている。 お役所相手の仕事からの収入に依存していると、年度末に年商のほとんどを稼がないと、生活が持たない。 かといって、体はひとつなので、処理量には限界がある。 別に零細なうちだけの問題ではないと思う。 既往成果を見せてもらっても、やっつけ仕事だなぁと感じるものが少なくない。 発注のやり方をもう少し考えてくれないかと思うが、それこそお役所仕事はなかなか変わらないようだ。 (それでも変わるところは変わってきているみたいだが)
正月明けから2月末頃まで、休みのない日が続いた。 睡眠時間はおおむね普通に取っていたので、身体的な疲労はさほどでなかったと思うが、精神的にきつかった。 正月明けから2月末頃まで休みのない日が続いた。 やっぱり、休みは定期的に取った方がよいということがよくわかった。
3月になって、大きな仕事が少しずつ片付くと、時間にも仕事にも多少、いや、ずいぶん余裕が出てきた。 で、アーモンドフェスティバルなるものに出かけたのであった。 写真は会場で咲いていたアーモンドの花。 バックに写る建物は、東洋ナッツの工場。 テレビなどで見て想像した以上に、アーモンドの花の大きいこと。(品種にもよるのだろうが) それ以上に、人出の多さにびっくり。 会場へ向かう無料バス乗り場や、会場での即売に並ぶ行列に、田舎ものはただ唖然として、早々に退散したのであった。 会場で配られた種を、今度こそはうまく育てて、数年後には自宅で花見をしたいものだが、どうなることやら。
入り口写真の更新をずいぶんさぼってしまった。 若干気持ちの余裕がなかったこともあるが、基本的にはネタが見つからなかったのである。 全くなかったこともないと思うが、写真を撮ってもすぐにアップせず、時機を逸してしまうということもあったかもしれない。
この冬は、昨冬にもましてひどい暖冬のように思っていたが、1月も下旬になってようやく雪が積もった。 この冬初めてではないが、普段のように20cm、30cmと積もったのは、本当に久しぶりのようで、なんだかほっとする。 その分冷えて、光熱費がかさむことは、なかなか辛いことではあるが。
雪と青空はよく似合うように思う。 白い雪をつけている枝は、クヌギか、あるいはアベマキか。 いわゆるドングリのなる木であるが、クヌギとアベマキはよく似ていて、私はいまだに両者の区別が出来ないのであった。
ひらがなだけで書くと、なにを言ってるのかわかりにくい。 毎朝の、比良写真を撮りに行く道ばたのしげみの中に、朱色のノイバラの実を見つけて覗き込んだ。 名前を知らないつる草の黒い実も見える。 覗いていると、ぐぐぐ、くくく、と声が聞こえる。 最初は、土手の向こうの田んぼからかと思ったが、よく聞くと、覗き込んでいるしげみの中からだ。 くくく、ぐぐぐ、と、少なくとも2匹が呼応して鳴いている。 深さ5cmもないような繁みなので、声の主はすぐに見つかるかと思ったが、
まったく見つけられない。
覗き込んでいる間も、ぐぐぐ、くくく、と鳴き合っている。 普段は、人間の足音が聞こえると鳴くのをやめてしまうのに、今日はいつまでも鳴いている。 いい気になって、隣にいる夫に話しかけたりしていると、やっぱり鳴き声が止んでしまった。 あきらめて歩き出すと、10mほど歩いたところで、後ろからまたぐぐぐ、くくく、と声が聞こえてきた。
今年は秋の進みが遅いというが、最近は毎朝霜もおり、もうすぐ蛙もお休みか。
最近、気候が本当に極端で、うだるような暑さが続いたかと思うと、突然肌寒い日が訪れたりする。
今年は、ヒガンバナの満開が少し遅いような気がしたが、これまでの表紙写真を見ると、ヒガンバナはいつも10月(時によっては9月下旬)だったから、今年も例年通りということか。 自分の感覚がずれてしまっているというだけのことらしい。
新聞のコラムで生態学者が書いているには、昆虫などの冬支度は気温の変化で始められるのではなく、日の長さの変化で始められるのだという。 気温の変化だけで時期を判断していては、たとえば今年の夏から秋のように、だらだらと暑い日が続いた後、突然気温が下がるようなとき、対応できないのだという。 そんな極端な気候は、昔からよくあったということなのだろう。
雨が降ると、イネ科の植物と思われる、いわゆる雑草の花がよく目立つ。 細かい穂に水滴がよく残るようだ。 ヒガンバナの後ろで穂に水滴を蓄えているのは、チカラシバというらしい。
最近、入り口写真のネタがないので困っている。 どこへも遊びに行かないし、山へ行く仕事もないし。 本当は、毎日の散歩道でいろんな「雑草」が日々姿を変えているのだが、未だに名前のわからないものばかりで、すると話のネタも思いつかない。
などと言い訳を考えつつ、月初めに散歩をしていると、この日はいつになく、アマサギが散歩道の田んぼに集まっていた。 正確には、休耕田に集まっていた。 この時期の田んぼは、すでに収穫待ちの色づいた稲穂が頭を垂れていて、歩きにくいのだろう。
写真は、かろうじてサギの姿形がわかる程度の大きさにしか写っていないが、私の3倍ズームのデジカメでここまで撮れるほど近づかせてもらえるのは珍しい。 ネタ不足の身には、渡りに船といったところであった。 といっても、やはり話のネタはほとんどないのであった。。。
何枚か、サギたちの写真を撮って、田んぼ脇の道を歩いていると、足下に小さなカニが現れた。 夫が写真を撮るため少し追い回した後、「サギに食われないようにね」と解放した。
今年の梅雨は本当に長かった。 このまま秋になるのではないかと思った。 だから、ある日突然、夏の日差しに逢ったときは、本当に戸惑った。 庭の植木も、少なからず長雨の影響を受けてしまった。 私が無頓着だったからだが。
表紙写真でアカメガシワは3回目か。 田んぼの脇で刈られては、しぶとく這い出してくる。 いつも比良写真を撮るポイントの近くにも、側溝のコンクリートの隙間から生えている。 今朝、花が咲いているのに気づいた。 雄花だと思う。 花びらも何もないが、よく見ると、案外可愛いものだ。
今年は空梅雨らしい。 だけど、琵琶湖の西側ではそこそこ降っている。 琵琶湖の水位もいつになく上昇しているらしい。 毎日じめじめする。裸足で板の間を歩くと、べたべたする。
それでも、やっぱりちょっと雨が足りなかったのかと思うことがある。 この頃、近所の田んぼや畑には、しっぽが縮んだばかりの豆粒のように小さなアマガエルが大量に現れる。 朝、比良写真を撮りに外へ出ると、田んぼ脇のアカメガシワの葉など、葉っぱ1枚に2、3匹ずつの割で豆ガエルがへばりついている。 それが、今年は1本の木に1匹いるかいないかだ。 道を歩くと、私の足音を怖れてか、道ばたの草むらの中で跳ねる豆ガエルが見つかるのは見つかるが、今年は目をこらして探さないと見つからない。 2週間ほど前、晴れが続いた頃、このあたりの田んぼが干上がり、地面のひび割れたところすらあった。 まだオタマジャクシがたくさんいるだろうにと思って心配していたが、その心配が当たってしまったのかもしれない。
ともあれ、無事にオタマからカエルへ成長した1匹が、畑のいもの葉についていた。 アマガエルって、豆のように小さい頃から、数年経った図太そうなやつまで、あまりプロポーションが変わらない。 だから、写真に撮ってしまうと、豆ガエルかなんだか、よくわからないのが残念だ。
5月はとうとう写真を一枚も出さず、桜の写真をいつまでも飾っていた。 5月はいろいろあったのだ。 というのは言い訳で、あまりこれといった写真が撮れなかっただけである。
ウツギは以前にも出したことがある。 もう5年も前のことだ。 あのときは、クモが潜んでいた。 今回は虫がたかっている。 コガネムシの仲間か。 虫の名前が全然わからない。 わからないと言いながら調べないから当然だ。
最近、片眼がつぶれたアマガエルを飼っている。 片眼では視界が狭かったり距離感がつかめなかったりで、自力でエサをとることができない。 そこで、エサとなる虫を探さないといけなくなる。 写真の虫たちは大きすぎるのでダメ。 カミキリムシなどは、カエルの腹の中をかじりそうでパス。 ぱちんと跳ねる虫は、カエルの腹の中でも跳ねて、カエルがいやがって吐き出したりする。 ナメクジに至っては、カエルの腹の中から這い出してしまった。 エサ集めも大変だ。 それにしても、それぞれが生き延びるためにいろんな方法を持っているものだ。
最近、役所相手の仕事はほとんどが、年度末までにきれいに片付いてしまう(本当に「きれいに」かどうかはわからないが)。 したがって、4月は春休み(失業中)である。
以前から気になっていた青春18きっぷを、この春初めて購入した。 今年は特に、JR民営化20周年とかで安くなっていることもあるが、通常の価格であっても、私の場合、大阪の客先への往復だけで元が取れる計算なのである。 しかし、元が取れるといってもそれは期限内に5回分使い切った場合である。 案の定、4月10日の期限内に大阪へ出向く用事がなくなってしまった。 最近はメールや電話でほとんどの用が足せてしまうので、仕事が動いているときでも出向く必要がなくなっている。 出向く時間がもったいないということもあるし。 そんなわけで、青春18切符を無駄に捨てないために、という名目で、ある春の日、鉄道の旅に出かけたのであった。
自宅最寄りの湖西線を南へ下り、琵琶湖線で草津駅へ。草津駅で草津線に乗り換え、柘植駅へ。柘植駅で関西本線を西へ向かい、加茂駅で大和路快速に乗り換え、法隆寺で降りる。 どちらかというと列車に乗るのが目的なのだが、せっかくなので観光も、ということである。
修学旅行で来た思い出が強いためか、奈良の寺に春爛漫の日和が実に似合うような気がする。 それぞれの拝観料をけちり、お金を払わずに通れるところばかりをうろうろ。 それでも塀越しに五重塔も、夢殿も見えるのだから、別にこれで十分という気がする。 写真は、法隆寺境内のあちこちにある小さな寺の門にあった瓦。 ここは菊の花だが、蓮の葉を伏せた形であったり、うさぎであったり、なんだかかわいいのであった。
法隆寺駅へ戻り、大和路線と奈良線、湖西線を乗り継いで、自宅へ戻った。 ずいぶん疲れたのは、関西本線で約1時間、最後尾の窓に張り付いて立ちっぱなしだったためか。 実のところ、この日一番楽しかったのは、関西本線だったのであった。
今朝の新聞の地域欄に、ネズミ型のネコヤナギなんて記事があった。 開花前のネコヤナギのつぼみが、妙にくびれたりふくらんだりしてネズミのような形をしていて、それが枝に群がりつく様子が、まるで枝をよじ登るネズミのように見えるのだとか。
入り口写真にやなぎを貼るのは2回目だ。 前回はいつだったかと見返すと、もう3年も前。 本当に日の経つのは早い。 3年前の写真は3月下旬、やなぎはようやく咲き始めたところだった。 今回の写真は3月初め、既に満開である。 ミツバチがたくさんやってきて、ブンブンいいながら蜜を集めている。 啓蟄が近いとはいえ、もうミツバチがこんなにたくさん活発に動いているとは。 そして、やなぎの花は地味だから、風媒花かと勝手に思っていたが、ミツバチを呼ぶだけの蜜があるとは。 不思議なこと、知らないことばかりである。
結局暖冬になってしまったようだ。 2月に入って当地でようやく3回目の積雪。 かさは結構あったけれど、気温がさほど下がらないし、すぐに解けそうだ。 昨冬みたいな雪続きも参るけど、この冬みたいなのも気持ちが悪い。 山に雪が積もらないと、水の心配も出てくる。
写真は暖冬とは多分関係ない、冬ごとの来訪者だ。 カシラダカじゃないかと思うのだが、よくわからない。 私のデジカメではこのくらいの大きさが限界だ。 冬は鳥がよく目立つ。 けれどみんな警戒心が強くて、なかなか写真など撮らせてもらえない。
元旦、日の出を見に琵琶湖の縁まで出かけた。 この日は、前日からテレビでも「明日は初日の出がよく見える」などと報道されたためか、水辺にもちらほらと人がいた。 日の出は7時5分というので7時前からあわてて出かけたが、実際のところ、水平線から現れるわけでもないので、しばらく待つことになる。 山際には雲がかかっているようで、その雲が真っ赤に輝き出すと、もしかしたら日はとうに山より上にあがって、雲の向こうにいるのではないかなどとやきもきしたり、それでもしばらく待っていると、不意に稜線からこれまでよりはるかに強い光が射してきた。 写真は日が射した瞬間で、このあと、真っ赤な光の帯が湖面に伸びるのだが、レンズフィルターなしではとても撮れるものではなかった。
今年も残すところあと一月。 今年は新しいことをいくつかはじめたが、本来の専門分野のほうはおざなりであった。 だからというわけでもないが、稼ぎは悪かった。 だけど去年の稼ぎが良かったもんだから、税金や保険料がえらく高くなって、結構辛かったな。
などと、写真とまったく関係のない、年末の反省なんかしたりして。
近所の、湖西線の高架の脇に、なかなか立派な椿の木立がある。 一本ではなく、数本が高架と並ぶような高さで茂っており、ちょっとした林のような雰囲気だ。 しばらく見ない間に満開であった。 既に、道にたくさんの花を落としている。 むかし、花は白が好きだったが、椿はやっぱり真っ赤が良いかもしれない。と最近は思う。
目の前に山があるのに、毎日家の周りを少し歩く程度であるので、どうも「秋らしい」写真が撮れない。 田んぼの脇にまだまだ咲いている小さな花々を撮ってみたら、手振れしてしまった。 もう一度と思って田んぼ脇を見にいったら、前夜の寒波で一部終わってしまったのか、思ったものが見当たらなかった。
少し前まで、田んぼ道を歩くと、踏んでしまいそうなほどバッタやイナゴの類が跳ね回っていたが、ここ1週間ほどでまったく見られなくなってしまった。 と思ったら、いた。 この写真の中に、少なくとも2組のカップルが。 冬が来る前に、来春のための卵を産んでやろうという作戦であろう。 で、彼らは産卵してから冬越しの準備をするのか、あるいは卵に種の将来を託して絶えるのか。
最近外出すると、くしゃみを連発、鼻をすすり上げなければならないことが多い。 どうも、秋の花が咲き出して、その中のどれかの花粉に反応してしまっているらしい。
近所の田んぼのあぜでは、色鮮やかな花、そうでもない花、花と思われていないような花まで、春に次ぐ花盛りになってきた。 植物には、夏に元気なものもあるが、暑い時期には一休みして、涼しくなってくるころ活動を再開するものも多いような気がする。
写真はススキの穂が出てくる途中。 穂が鞘からで切らないうちに、一部待ちきれなかったか、咲き出してしまっている模様
これは何を撮ったのかと問われそうな写真であるが、とりあえず白い花−センニンソウを撮っているのである。 手前にはノバラの葉が出張っている。 実際には、ノバラにセンニンソウが絡み付いているのだが、絡みつかれたノバラも、もともと他の草木を伝って伸びるやつなのだから、なんとも大変な生存競争である。
うちの近所では、田んぼ脇の土手にセンニンソウが咲いて、クズが咲いて、あぁ、秋が来たなと思うのである。
夜、出先から戻ってくると、玄関前に垂らしているすだれに、雄のノコギリクワガタがしがみついていた。 クワガタは、たいていひと夏に1匹ほど来るのだが、3年半ほど前に引っ越してきてから、一番立派なクワガタである。
翌朝、もうどこかへ行ってしまったと思ったら、まだすだれにいた。 昼になってもいる。 しがみついているというより、ただ付いている、といった感じである。 考えてみれば、昨夜から何も食べていないのだ、と思い、おせっかいかもしれないが、夫に頼んで蜂蜜をやった。 ティッシュペーパーに蜂蜜をつけて、その上においてやると、舌のようなものを出してしばらくぺろぺろなめていたらしい。 おやつの頃に見ると、もう満足したのか、蜂蜜から離れようとする。 床の上は暑かろうと、再びおせっかいにもすだれにつけると、これまたしがみつくというより、ただ引っかかっているような状態。 それでも、しばらくするとよじ登りだした。
元気になって、夕方になったらどこかへ行ってしまうかと思ったら、夕飯前にもいた。 就寝前にも、まだいた。 ずっといてくれるとうれしいと思う反面、雌を追い回すべき時期に、こんなところに居座っていてはだめではないかと心配したり。 結局、翌朝には姿を消していた。 飛ぶ力はちゃんとあったのかと安心したり、しかし、また戻ってこないかと思ったり。。。
滋賀県東部の米原から、関ヶ原へ抜ける谷間の街道を少し行くと醒ヶ井という集落がある。 豊富な湧水を集落内の水路に引き回して、今でも生活用水にしているとのこと。 かなり深いところから出てくる水なのか、年中水温が14℃程度と一定だそうで、その水が流れる水路の中で、梅花藻という水生植物が6月半ば頃から白い花を咲かせ始める。
去年の7月半ばに初めて見に来た。 去年も今年も雨の後だったということもあるかもしれないが、相当な水量である。 写真ではまるでよどんでいるようにも見えるが、実際は音を立てて水が流れ、梅花藻は速い流れになびきながら花を開いている。 水の恵みという言葉が思い浮かぶ。
写真中央右側の、がくが開いて桃色の花びらが見えている状態、もうすぐ咲くのかなと思ったら、これですでに咲いている状態なのだそうだ。 確かに、よく見ると真ん中から蕊のようなものが飛び出している。 ネットで探してみると、たまにちゃんと花びらが開くものもあるらしいが、やっぱり花びらが開かないまま花を終わるのが標準らしい。
名前の由来は、苗代を作る頃に実るイチゴ、ということらしいが、うちの近所は早稲が主流のようで、花が咲いている今は、すでに田植えが済んでいる。
撮りそこねずに済んだ。 先月の写真の答えである。 先月の写真からしばらくして、つぼみの房から一つ一つのつぼみがはっきり分かれてきたのだが、いつまで経ってもつぼみは堅いまま。 連休前に見たときは、まだつぼみが青く小さく、いつになったら咲くのだろうと思っていたが、1日比良写真をさぼって、翌5月1日、木の前を通ると、もう咲き出しているではないか。 その日はまだ咲き始めで、手の届くところはまだつぼみだったから、写真を撮るのは翌日にした。 風が強かったが、うかうかしていると色あせてしまうような気がして(以前、盛りを過ぎて黄色くなってしまったうわみずざくらを見たことがあるのだった)、風がやむのを待って撮った。 待っている間、蜜のにおいがしていた。
で、早く撮らないと色あせてしまう、と焦ったわりには、1週間ほど経った今日も、まだ真っ白な房がうじゃうじゃと咲いていた。 この花も、やなぎとおなじ、毛虫系だな。。。
3月の末日になって雪が積もって、本当に驚いた。 農家の人や、野外で生き物を扱っている人たちは、この冬の天候にはさぞ悩まされているだろう。
最近、比良写真を撮ったついでに、田んぼのヘリをぐるっと歩いている。 ささやかな散歩である。 ここ数日前から、木の枝にぶらぶらぶら下がっているものが気になっていた。 カバノキの仲間か何かの花かと思ってよく見ると、違った。 写真のものはぶら下がらずに、上を向いている。 カバノキ類より、ずいぶん目立つ花が咲きそうだ。 さて、どんな花が咲くのでしょう?
。。。と書いたからには、咲いたものの写真を撮り逃さないようにしないと。
この冬は、梅の花が遅かった。 冬が長い、というより、冬が早く訪れて、それもかなりきつく冷えたからのような気がする。 気がするだけだし、だからどうして花が遅くなるのかも、よくわからない。
春分を目前にして、昨日は雪の日だった。 まさか、また積もるのかと思ったら、夜の間に1mm程度積もったようだ。 朝からの陽射しであっという間に溶けてしまった。 ウグイスが色気づいてさえずっている。 春が来てしまった。 何の準備も出来ていないのに。。。いつものことか。
写真は、近所の畑の満開の白梅である。 うちではようやくベランダの鉢梅が咲き出したところ。 庭の実梅のつぼみはまだ固い。 早く咲かないと、受粉の相手がいなくなってしまうんだけど。。。
2月9日の雪の朝である。 この冬の雪の日としては、大して気温は低くないが、一番かさ高く積もったような気がする。 いまいち体調が優れなかったが、急いで伝票がほしいといわれて郵便ポストまで。 このあたりは1日1回しか収集されない。
ポストが見えてくると、なんだかえらく積もっているので、果たして投入口がふさがっていないか心配だったが、それは大丈夫だった。 ポストの箱の左側ばかりに雪がへばりついているのは、こちらが山側だからだ。 湖側の右側には雪がつかない。
この冬は訪れが遅い、と思っていたら、12月中旬頃から雪続きで大変なことになっている。 積雪は、特に山地での積雪は、本来重要な水資源で、まさに天の恵みのはずなのだが、今回は度を越しているようだ。 私たちの生活が、雪になじまないものになってきていることもあるかもしれない。
雪続きでうんざりしているけど、うちのあたりは雪下ろしも不要で、気楽なものである。 気楽ついでに湖まで散歩。 こんな日にも、水鳥たちがぷかぷか浮いている。 ずっと離れた岸辺で眺めているだけなのに、遠くへ泳いで行ってしまう。
中学の頃、国語の授業で、つばきは春の季語だと習った。 それまで、つばきは冬の花だと思い込んでいた。 多分私だけではなかったと思う。 国語の先生が「だって、木篇に春と書くでしょう」、また「『釜山港へ帰れ』の最初を歌ってみなさい」。 確かに、その頃売り出されたかの歌の日本版歌詞は「椿咲く 春なのに あなたは帰らない」とくる。
それでも、やっぱりつばきはどちらかというと冬の花のイメージがある。 だって、ほら、こうやって木枯らしの吹く頃にも咲いてるじゃないか。 むろん、これは咲き初めであって、このあとずっと、5月頃まで咲きつづけるのだけど。
涼しいというより寒くなってきたのに、まだ紅葉しないのかなぁと思っているうち、色づくものは色づき始めた。
ということで、町の公共施設の駐車場に植わっているナンキンハゼ。 実がたくさんついている。 ナンキンハゼは1本の樹がだんだらに染まる。
奈良公園の周りにも、結構な本数のナンキンハゼの並木がある。 初めて気づいたときは、7月だった。 地味な花が満開で、道が花粉で黄色く染まっていた。 ガイドブックだったか、なにかのホームページだったか、奈良の観光ガイドを見ると、秋のナンキンハゼ並木を指して「夢のような色合い」と書かれていた。 まだ夢色の並木には出会えず、この秋も近所のまばらな街路樹で我慢。
本当は、花の写真を飾るつもりで撮っていたのだが、アップするのを後回しにしているうち、現地の花が終わってしまったもんで、もう一度撮り直し。
「イナゴの仲間?」なんて、調べてから載せろよな、という感じであるが、調べているとまた時期を逸してしまいそうなので、とりあえず掲載。 また近いうちに調べることにする。
ここ数日、比良写真を撮りに出かけると、こいつらが道端にたくさん出てくる。 パチンパチンと音を立てて跳ねて逃げていく。 どこかから飛んできたのか、それとも最近羽化したのか、それならこの姿で冬を越すのか、わからないことばっかりだ。
昨年、初めて気づいたのだが、この時期には、電線につばめがまとまった数で並んでとまっているのが見られる。 普段、電線につばめがとまるといえば1羽単独のものだ。 そういえば、巣立ちの頃には兄弟姉妹と思われるものが数羽並ぶこともあるが、10羽も20羽も並ぶのは、この時期だけのようだ。 南へ渡るために、集まってきているのだろうか。
つばめに限らず、渡りをする鳥は数千キロを飛ぶのだという。 当然、1日や2日でたどり着く距離ではないだろう。 どんな旅行きなのか、想像もつかない。 考えてみれば、人間も、たとえば日本人も百数十年前は、数千キロとは行かずとも数百キロを自分の足で歩いていたらしい。 江戸末期にお伊勢参りが流行ったらしいが、江戸から伊勢まで片道で500キロはあっただろう。 飛脚などの特殊な職業の人でなくとも、健康な人間がおそらく半分は遊びで(それほど信仰のあつい人ばかりだったとも思えない)数百キロを歩いていた。 考えようによっては、贅沢な話だ。 なんといっても、数百キロを歩くだけの時間があるのだから。 ずいぶん、つばめとはかけ離れた話になった。
最近、表紙写真の更新頻度も下がってきた。 家にこもってばかりなので、写真のネタがないのだ。 庭のカエルやら草木の写真ならいくらでもあるが、もひとつ面白くない。
久々に、山へ出かけた。 山あいの小さな小学校(幼稚園と中学校も併設)の裏山に崩れそうなところがないか、ということであったが、崩れるべきところは大方崩れてしまった後のようだ。すぐそこに尾根も見えている。
スギとヒノキが主体の林だが、大きなカツラの木が目立っていた。 その奥に、もう1本、めだつ広葉樹があった。 同行した人たちが「あの、陽の当たってる樹は何?」と聞く。 ちょっとした斜面を這い上がって傍へ寄ると、ケヤキであった。
実は、自生のケヤキを見るのは初めてだった。 おそらく、これまでも見ていたのを気づかなかっただけなのだろうとは思うが。 ケヤキもカツラも、水の多い土地を教えてくれる木だ。
今年も、不安な夏を予感させるような梅雨だ。 うちの近所では、梅雨明け後ほとんど雨が降らずに、湿度と温度ばかりが日に日に上昇していたが、6月末になってようやく年並みの梅雨らしく降り始めた。 他の地域では、渇水であったり洪水であったり、ひどく極端な状況が報道されている。
とりあえず、うちの近所では恵みの雨というところである。 今年、水からあがったばかりのアマガエルたちが、活発に動き出した。 大量のちびがえるは、おそらく鳥やヘビなどの主要な餌となって、地域の生態系を支えているのだ。 とは思っていたが、この写真を撮った前日、蜘蛛の餌にもなっているところを目撃して、ややショックであった。 とにかく自然は厳しい。
このくらいの若いかえるは、本当にじっとしていない。 カメラを向けると、必ずと言っていいほどそっぽを向く。 それでもうまく生き延びて、今の4倍くらいの体になった頃には、鼻先を突っついても動かないような図太いやつになる。
かなめもちというのは、庭の生垣によく使われるとのことで、てっきり園芸種だと思っていたら、そのへんに自生しているものでもあるらしい。 もっとも、最近生垣に使われているものは、レッドロビンという園芸種らしいが。
このところ、あちこちでウツギの白い花が満開なので、そいつを表紙写真にしようかと駅までの道を回り道していたが、ウツギを撮ってからしばらく行ったところでかなめもちが満開だったので、そっちに浮気をしたわけである。 真っ赤な甲虫がたかっているのがミソである。 夫にこの虫は何かと聞くと「カミキリムシ」との答え。 何カミキリかと聞くと、家の図鑑で調べればよいとの答え。 で、まだ調べていない。
写真のカミキリムシ、必死で花にたかるうち、花から滑り落ちてしまった。
京都で打ち合わせた帰りの電車で居眠りをして、気づいたら一駅乗り越してしまっていた。 引き返そうとも思ったが、次の電車は20分ほど後。 天気も良いし、たまにはこちらから歩いて帰ろうか、と、乗り越し料金を払って改札を出た。 直線距離では、いつも利用する駅とこの駅とのちょうど中間辺りに自宅はある。 ただ、この駅から自宅へは道が大きく巻いていて、歩くと倍ほどの時間がかかる。
せっかくなので、なるべく湖に近いところをと思ったが、浜辺まで出ると砂地で歩きにくい。 靴に砂も入る。 湖に近い、舗装道路を歩いた。
途中、浜近くに公園のようなところが見え、特に立ち入り制限もないようなので入っていった。 水際に大きな木が1本立っている。 ニレの仲間かと思ったが、寄っていって見るとそうではない。 柔らかい葉がたくさんついている。 ヤナギかカバノキあたりかと思うが、自宅で調べてもよくわからなかった。 あちこちの葉に白い泡がたくさんついている。 木に寄ってみていると、上からぽたぽたと水滴が落ちてくる。 この粟から落ちてくるのだろうか。
風が少しあって、波もすこしある。 のどかな時間だった。
写真が傾いてる。 このとき撮ったほとんどすべての写真が傾いていた。 ひどい平衡感覚だ。 直そうかと思ったが、そのままにしておく。
マルバアオダモ、と特定してしまってよいのかわからない。 小葉はあんまり丸くないのだが、鋸歯がはっきりせずに葉縁が波打ってるので、とりあえずマルバアオダモだと思っている。 水路の向こうにあって、手にとって詳しく見ずに書いているので、なおあやしい。。。
写真の真中辺りの白くもやもやしたものが、マルバアオダモの花である。 モクセイ科だということで、確かに蜜のような香りが漂っている。
今年はやたらとつばきの写真ばかり載せているような気がする。 だって、目に付くから。
子供の頃、つばきは冬の花だと思っていた。 さざんかと一緒くたになっていたのかもしれない。 中学の国語の時間、つばきは春の季語だと教えられた。 「思い出してみなさい。 『釜山港へ帰れ』の歌詞を」と教えられた。 確かに「椿咲く春なのに」であった。 でも、朝鮮半島は日本より寒いだろうからな。。。
しかし、実際に春になった今も近所のつばきはみな満開である。 雪の頃から、絶えることなく、というよりますます花の数は増えているような気すらする。 今年はきっと生り年なのだな。
写真の右にはもう花が終わったやまざくらの新葉が、写真の真中奥にはまだ目覚めには早いコナラの幹が写っている。
ハクモクレンには一方的な思い入れがある。
学生の頃、京都は左京区一乗寺の駅前通に大きなハクモクレンの木があった。 満開の頃、夜に見上げると、闇の中に白い花々が浮かび上がり、それはそれは美しかった。
結婚して移り住んだ夫の実家にも、玄関先にハクモクレンが植えられていた。 4月はじめに泊りがけで山へ調査へ出かけ、夜に家の前の道まで戻ると、向こうの闇の中に白い花々が見えた。 皆こちらを向いて「おかえり」と言ってくれているように見えた。
その次の年だったか、自宅で仕事を始めて最初の年度明け、年度末の仕事がこなしきれず、大阪の取引先へ行くときはいつも徹夜明け、それでも提出物は完成しておらず、泣きたい気分で新大阪の駅から取引先の事務所へ向かう途中、植えられてさほど経っていないと思われる小さな木に、ハクモクレンが咲いていた。
今日、京都駅の北側、中央郵便局の前にちいさなハクモクレンの木を見つけた。 ビルの谷間に咲いていた。 本当は、ハクモクレンは皆を見下ろしながら咲いてほしい。 単なる個人的な趣味だが。
またつばきに勝手な名前をつけている。 自宅前の水路。 浅い流れなのでつばきは流れておらず、上から落ちてきてそのまま並んでいる。 いつもは雨でも降らない限り枯れている水路だが、最近は常に浅いながれがある。 冷えた朝には凍りつく。 たぶん雪解け水だ。 この冬は、もう凍らないかな。
そういえば、この隠れ家の最初の入り口写真も慶雲閣の盆梅だった。 あのころからすでに、2月の頃に長浜盆梅を見に行くのはうちの年中行事の一つになっていたと思う。 で、今年も行ってきた。
先週まで暇で暇でたまらなかったのが、急に仕事が動き出してばたばたしだした。 年度末なんだから、仕事が入ったらばたばたするのはわかってるのに、それまで動かなかったもんだから、長浜行きは日曜日にせざるを得なかった。
盆梅展は湖北地域を中心にあちこちで行われているようだが、いつも行くのは長浜の慶雲閣である。 JRで長浜に着いて昼食を取って、慶雲閣の門をくぐると、建物までに行列ができていた。 やっぱり日曜はまずかった、と思いつつ、まさに人垣を掻き分けながら梅の鉢に近づく。 近づくまで数分かかった。。。 しばらくして、いっしょにいた姑さんに「これ、今電車が着いたところで混んでるだけみたいだから、もう少し待と」と言われ、半信半疑で進むのを待ってみると、確かにあっという間に人ごみがはけ、すこしゆったりしてきた。 もちろん、鉢を独占するようなことはまず無理だったが。 考えてみれば、盆梅を見にくる客の大半は、引退後、暇を持て余しているように見える年配者で、そんな人たちには平日も日曜もあまり関係ないらしい。
写真は慶雲閣の廊下に置かれていた小さな鉢の白梅。 大広間の見上げるような木々に比べ、あまりにひっそりとしたたたずまいで、気づかずに通り過ぎる人も多い。 一種の穴場か。
2月1日からすごい寒波がやってきて、全国各地でとんでもない量の雪が降るんだと、テレビなどでえらく脅されたが、2月1日はほとんど雪がなかった。 なんだ、またはずれか、と思ってテレビを見ると、よその地域では大変なことになっているらしい。 なのになんでここではろくに降らないんだ、と思っていたら、2日に積もった。 2日3日と降り積もって、でも20cm程度で打ち止め。 4日の昼ころから青空が見えてきた。
積雪のあと晴れると、まぶしい。 比良写真を撮りに田んぼ道へ出た。 一面真っ白な田んぼなど見ると、子供など転げまわっていそうな気もするが、そんな形跡はなかった。 平日だから転げまわる時間もないのか、あるいはいまどきの子供は雪の上で転げまわったりはしないのか、などと考えていると、道端に雪の人形が立っていた。 雪だるまというより、地蔵である。 頭にさざんかなどつけて、おしゃれである。 作ったのは大人のような気もする。
このへんでは、雪が何日も降り続くことはあまりないが、いったん積もった雪は、特に田んぼの上などでは、1週間近く溶けずに残ることが多い。 水循環にとって、非常に大事なことなんじゃないか、とぼんやり思っている。
この冬は暖冬だと聞いていたけど、暮れあたりから寒波が何度もやってきて、それなりに雪も降っている。 家で仕事をしていると、寒い日の暖房代がかさんできて気になる。
木曜の晩から雪が降り続いて、ちょっとした量が積もった。 比良写真を撮りに行く途中、雪道に椿の花が落ちていた。
比良写真を撮りに行くのに、田んぼの中の一本道を歩く。 道の両側の田んぼは道から1メーター程度低くなっているが、雪で覆われていると、その段差がまったく見えない。 ぼんやり歩いていると田んぼに転げ落ちそうで、まっすぐな道だけど少し緊張しながら歩いた。
元旦の朝、寒波と低気圧が重なった雪の中、夫の運転する車で山を越えて、京都の夫の実家へ出かけた。 実家で京都の白味噌の雑煮を食べ、舅の墓へ参った。
舅はもともと九州の人で(といっても大陸で生まれ育って、そのまま京都へ来たので、九州に住んだことはないようだ)、真言宗である。 私は四国の出身で、四国も廻りは真言宗ばかりであったから、寺といえば真言宗であったが、京都へ来ると真言宗の寺は非常に少ない。 舅は数少ない京都の真言宗の寺で自分の入る墓を用意し、実際にそこに入った。
私など、依然いつ墓に参ったかも思い出せないほどだが、姑は彼岸や盆はもちろん、毎月の命日にもきちんとお参りしているようだ。 舅の墓に参ってから、寺の中の弘法大使像や不動尊などもお参りする。 私は後ろからくっついて、よくわからないまま手を合わせるだけである。
弘法さんの横にある常緑樹、シイカシ類だと思い込んで、小さい丸いものがいっぱい付いているのを、「あ、どんぐりや」などと指差してからよく見ると、クリーム色の花が咲いている。 シイやカシなんぞではない、しきみであった。 どんぐりかと思ったのはつぼみであった。 でも、ちょっと花が咲くには早いように思う。 調べてみると、3月頃に咲くものらしい。 やはり暖冬の影響だろうか。
最近歯医者へ通っている。 女性ばっかりの歯医者さんである。 女性だから選んだわけではなくて、近所で聞いてみると時間をきっちり守ってくれるということだから、そこに行ってみることにした。 そこまで待ち時間にこだわっているわけでもないが、腕がよいかどうかなど、他の情報は手に入らなかったので
自宅兼診療所といった雰囲気の建物である。 医者も個人事業者という意味では自分と同類なので、少し気になる。 やっぱり、もうかるのかな、なんて。。。 でも、考えてみると歯医者なんてしんどそうである。 人の口の中に手を突っ込んで、数十分の1ミリ単位の仕事を、毎日毎日、一日中ではないにしても6〜7時間はやるのである。 次から次へと、休むまもなく。 そう考えると、稼ぎが多少(ずいぶん?)悪くても、私は今の仕事のほうがいいかな、と思ってしまう。
先日、その歯医者へ行くと、診療所兼自宅の壁に並ぶ生垣に、白い花がたくさん咲いていた。 ひいらぎなのであった。 ひいらぎの花は、数年前に山で初めて見た。 ひいらぎってこんな花が咲くのか、とわりと感動して、自宅へ戻って図鑑を見ると、モクセイ科とある。 ということは、香りが強そうである。 しかし、そういうものは現地で確かめないと、撮ってきた写真をいくら見てもわからない。 そのあとひいらぎの花にお目にかかる機会は、このときまでなかった。
初めて見たときの花は2〜3輪だけであったから、「しまった、匂いをかぐのを忘れた」ということになったが、歯医者の建物脇にずらっと並んだ木々がすべて満開であると、嗅ぐつもりがなくても香りがはいってくる。 同じモクセイ科のきんもくせいの香りを想像していたが、それとはずいぶん違う、少し醗酵した感じの香りであった。
11月も半ばになると、朝晩冷えるようになる。 今のところ、きりっと冷え込むというよりは、じっとりと寒い感じである。
夫と近所を歩いていると、真っ赤に紅葉した草を見つけた。 何の草だろう、と二人で覗き込んでいると、先ほどすれ違った近所の人がわざわざ戻ってきて、それはアカザだと教えてくれた。 昔は茎を杖にしたのだという。 軽くて使いやすいのだとか。 失礼ながら、本当だろうかと思ってしまった。 草でもイタドリなど、太く大きくなるものはあるけれど、体重を預けられるほど強い草の茎とは。
家に戻ってネットを検索すると、確かにアカザの杖というものがあるらしい。 売っているところもあるようだ。 夫は興味津々である。 また種子を拾ってきて庭にばらまくのかもしれない。。。
その後、夫が図鑑など調べたところによると、この写真の植物はどうもアカザそのものではなく、同じアカザ科のシロザらしい。 世間一般ではアカザとシロザと一緒くたにしてアカザと呼んでいることが多いようだ。
先日の台風23号のすさまじい風で、自宅前のコナラの木々はえらく痛めつけられた。 何本もの枝(というより幹)が折れ、葉っぱが引きちぎられて、林の向こうの見通しがよくなるほどになった。 まだ青い葉なのに、と思っていたら、いつの間にか落葉の時期になった。 仕事の合間に窓を見ると、少しの風ではらはらと散っていくのが見える。
道も、庭も、ベランダも、見る間に落ち葉でいっぱいになった。 これからまたしばらく、掃除が大変だと家人が嘆いている。 掃いても掃いても、次から次へと降ってくる。 家人曰く、放置した落ち葉が濡れるとコンクリートのたたきに染みができるのがいやなのだという。 また、落ち葉が樋に詰まると深刻である。
しかし、掃除もしない私はいい気なものである。 ガレージの屋根に積もった落ち葉を写真に撮って、HPの表紙に飾ったりして。
京都から滋賀へ引っ越して、仕事の相手は大阪ばっかりで、もう京都は通り過ぎるばっかりなのかと思っていたら、最近、再び京都との縁が復活してきたようである。 鴨川の近くの会館であった講演会に行った帰り、京阪電車に乗って帰ろうと川端通へ出た。 丸太町駅に向かおうとして、荒神橋が見えるとふいに荒神口の辺りを思い出して懐かしくなった。 その場でPDAで交通費を調べると、バスで京都駅へ出たほうが少しだけ安い。 それを口実に、河原町通のほうへ出ることにした。
川端通を渡ると、鴨川の飛び石が見えた。 私が学生生活を終わるころから、鴨川に飛び石が設けられはじめた。 最初は、鴨川と高野川が合流するあたりだったと思う。 渡ってみたいと思いつつ、あまり機会がなかった。
ということで、荒神橋へは行かず、飛び石を渡ることにした。
私の短い足では、文字通り少し飛ばないと次の石には届かない。 少しだけ冷や冷やしながら、渡っていった。 他にも何人か渡っていた。 なぜか、私の親ほどの歳のおばちゃんばかりだった。 買い物袋を提げて。
写真に写っているのは、飛び石の途中にいくつかあるカメの石。 次の石へは頭が一番近いのだが、やっぱり頭を踏むのは気がひけて、肩を踏ませてもらった。
稲刈りも半分以上おわって、あぜやら林縁やら彼岸花が満開である。 彼岸花といえば群れて咲くものと思っていたが、写真の彼岸花はたった一株、道から畑に農機をおろすための坂道のど真ん中に咲いていた。 写真が傾いてるのは、ご愛嬌ってことで。。。
写真をとってしばらくして、近所の彼岸花の茎が軒並み切断されて、花をつけた茎が散乱していた。 1箇所ではなく、田んぼに沿った道沿いずっとである。 茎は鋭利な刃物で切られたようになっていて、動物がやったとは思えない。 少しいやな気分であった。
彼岸花はどんどん咲いていく。 咲くたびに茎を切られるようである。 学校帰りの小学生たちとすれ違うと「ちょうちん、ちょうちん」とわめきながら、切れた彼岸花の茎を持っている。 花の首元辺りを皮一枚残してむしり、花を茎に皮一枚でぶら下げている。 赤い花が逆さにぶら下がって、確かにちょうちんかもしれない。 「ちょうちん」をぶら下げて遊んでいるのは、小学校も低学年くらいの子たちだったから、茎を切断して回ったのは彼らよりもう少し年上の連中で、彼らは落ちている茎を拾って遊んでいるだけなのだろう。 花を切るのも、そう目くじらを立てることでもないのかもしれない。
逆さにぶら下がった赤い花は、私には花火のようにも見えたけれど。
再び自宅で仕事するようになって、早くも1ヶ月が過ぎた。 今回は、自分の意志で家に帰ったのに(そう、前回は自分の意志ではなかった。。。)、なんだか落ち着かない気分だというのが、正直なところである。 長距離通勤から開放されて余裕ができるだろうから、あれもやってこれもやって、と思っていたけれど、結局毎日朝から晩までパソコンにしがみついて仕事をしているばかりである。 だからといって、わき目も振らずにに仕事をしているわけでもなく、だから余計に時間がかかっているような気もする。 体も、案外調子がよくないことも多い
たまに大阪の会社などを回るために駅に向かう。 以前は毎日歩いていた道である。 JRの高架下は柵で囲われているが、中は何に使っているでもなく、いつも草ぼうぼうである。 でもって、ぼうぼうなりに四季折々の花が咲く。 名前のわからないものも多い。 というか、わからないものの方が多い。 花と認識していないものも、たくさんあるかも。
写真は、ネットで調べてみたところ、シロバナサクラタデのようである。 かわいらしい花である。 でも、そばによらないと、花が咲いていることも見落としそうである。 柵にへばりついて写真をとる私は、きっと変なやつだと思われているだろう。
朝の散歩は、毎日欠かさずとは言えないが、なんとか続いている。 相変わらず時間が遅めなので、歩いているうちに日差しが辛くなってくる。 コースは日によってさまざまだが、だいたい浜辺か田んぼ。 本当は浜辺をずっと歩きたい気持ちもあるのだが、この時期浜辺にはテントが並んでいたり、朝っぱらから水上バイクがうろうろしていたりで、近づきにくいところが多い。
写真のあたりの浜は、テントも水上バイクもお断りなのか、この時期でもひとけがなく静かである。 もう少し時間が遅くなると、湖水浴客でにぎやかになるのかもしれないが。 浜辺には時々サギが歩いている。 白いサギの種類は、いまだに見分けがつかないが、水際をゆっくりと歩いているさまは、人間が考え事をしながら歩いているのにも似ている。 おそらく、サギはえさを探しながら歩いているだけなのだろうが。。。
シャッターを切った瞬間、なんだかサギとカラスとよい関係のように見えるが、時折サギはカラスを威嚇して、カラスは後ずさりする。 一瞬で物事を判断してはいけない。
2年間の大阪への出稼ぎ生活を終えて、8月から再び自宅で独りでの仕事を再開した。 再開した、といっても、2年前とはずいぶん様子が違ってしまって、自分でもどうしたらいいのかわからず、とりあえず取引先の人が猫の手も借りたい状況のようなので、とりあえず猫の手を貸している状態である。
自宅で仕事をしていると、通勤時のわずかな歩行すらもなくなり不健康に拍車がかかると夫に言われ、朝に散歩をすることになった。 早朝に歩けばきっと気持ちがよいのだろうが、朝が弱いもので家を出るのが7時半、歩いているうちに日が高くなって、朝に散歩をしている意義が半減するようだ。 徐々に体を慣らしていけば、もう少し早くから歩けるようになるのか。。。
家の前の道に、ところどころねむのきが生えている。 7月はじめに咲いていたねむの花は、もうとうに終わって、さやがたくさんぶら下がっている。 と思いきや、まだ咲いている花もあった。 7月より空の青が濃くなってきたような気がする。 くずの花も咲き出した。 でも、当分は残暑である。
梅雨の頃から、郊外の道路沿いや線路沿いに桃色のネムノキの花が目立つようになる。 「ネムノキって、花のときだけ急に目立つようになるなぁ」と、学生の頃、どこかへ調査へ出かける車の中で、同乗していた先輩が言った。 確かに、花のない時期のネムノキなど、木があるということすら意識しないことが多い。 でも、それはサクラもウメも同じことのような気がする。
昔、夫に教えてもらってカメラをいじり始めのころ、青空をバックにしたネムノキの花の写真を撮りたかった。 一時出向していた先の会社で知り合った人が、時折旅行先で撮った写真をはがきに貼り付けて送ってくれる、それを真似して、私も自分の撮った下手な写真をはがきに貼り付けて友人たちに送りまくった。 その頃、脳梗塞を起こして入院していたばあさんにも、家の近所のネムノキの花を見せてやりたかった。 空に向かって何度もシャッターを切ったが、ピントはうまく合わないし、空の色もくぐもって、ろくな写真が撮れなかった。 思った写真の撮れないうちに、ネムノキの花期は過ぎ、次の年も思った写真は撮れず、そのうちばあさんは脳梗塞を繰り返して意思疎通の出来ない状態になり、ある年の春、帰らぬ人となった。
一昨年の秋に引っ越してきたこの家の向かいの林にも、ネムノキが何本かまぎれている。 梅雨の頃から咲き出して、雨に打たれては次々と咲く。 相変わらず、空の青をバックにしたネムノキの花は撮れていない。 この写真はくもりの日に撮ったのだから、当然だけど。
暖かくなった頃から、自宅玄関の灯りに虫がたくさん寄ってくるようになる。 田舎だからだろうか、それはもうすごい数の虫が集まる。 京都市内に住んでいた頃とは、桁が違うと言ってもよい。 京都市内といっても、かなり田舎だったのだが。。。
あまりの多さに夫が嫌がって、虫を集めにくいという波長の電球を買ってきた。 効果はてきめん、集まってくる虫は数えられる程度になった。 しかし、この電球は非常に暗い。 そして、虫が来ないとそれはそれでさびしい。 当然、クワガタもやってこない。 虫を狙ったカエルもやってこない。
しかし、ある夜、珍しくヤモリがやってきた。 灯りの支えの器具の陰に隠れている、つもりらしい。 横から覗き込むと、もぞもぞと動いて隠れようとする。 でも、しっぽと後ろ足が見えてるぞ。
数週間前から、大きなまるい葉っぱと、アジサイのようなつぶつぶの集まったつぼみが気になっていた。 1週間ほど前から咲き始めたようだ。 勤めの帰り道、暗闇の中で白い花の塊が、そこだけ浮かび上がってよく目立つ。 街中と違って夜が暗いから、雪明りも月明かりも白い花も本当によく目立つ。
スイカズラ科のガマズミ、だと思う。 学生の頃、ふざけて「がばずび」などと呼んだ。 あんまりふざけているうち、図鑑で探すとき「が、ば。。。」と探して困ることになる。
今朝(5月29日午前)、中国、四国、九州が梅雨入りとの報道があった。 すでに初夏は過ぎて、蒸し暑い日々である。
題名のとおり、麦畑のあぜにアカメガシワが生えてきているのである。 あかめがしわは以前にも登場させたことがある。 夏空の下でべろりんと大きな葉っぱを広げて、ちょっとふてぶてしい(というのは私の勝手な主観)が、新芽は真っ赤でふわふわしていてかわいい(というのも私の勝手な主観)。 あかめがしわの芽吹きは結構長い期間続くようで、まだしばらくは楽しめる。
麦畑、何麦なのかはまったく知らないけれど、そろそろ色づいてきそうだから春小麦なのか。 去年、ここは水田だった。 減反なのかどうか知らないが、去年ほとんどが水田だったはずのこの辺り、どうも水稲を植えない雰囲気の区画が多い。 この麦畑もそう。 他にも、どう見ても畑になっているところが多い。
向こうに見える高架はJR湖西線。 その向こうに琵琶湖がある。
家にある鉢植えである。 図鑑で見るとケマンソウというらしいが、花の姿が鯛をたくさん吊り下げているようで、園芸店では「たいつりそう」といって売られている。 花が咲くとなんともひょうきん(死語?)な姿で、笑ってしまう。
このたいつりそう、7〜8年程前に花が咲いている状態で買ってきてから、一昨年までまったく花を咲かせていなかった。 毎年、春になると芽を出し、葉を茂らせるのだが、まったく咲くことがなかった。 3年も4年も咲かないとさすがに気になって、ネット上の園芸掲示板などで相談し、鉢が小さすぎるのではないか、湿気が多すぎるのではないかと言われ、対策をしてみたものの、やっぱり花は咲かなかった。 毎年葉っぱは元気に茂るので、生存に関わるような問題ではないようなのだが、咲かなかった。 それが、昨年の春、突然咲いたのである。
昨年の春は、私が今の家に引っ越してきて最初の春だった。 前の京都の家では、植木はみな2階のベランダに置いていた。 ベランダは全体がガラスで覆われた、いわゆるサンルームになっていた。 暖房などはなかったから、冬はそれなりに冷えたものの、路地ほどは冷えなかっただろう。 なにより、霜が降りることがなかった。
引っ越してきた新しい家にはサンルームなどないし、そもそも元から冬の冷え込み具合が違う。 軒先につららが下がる日もあった。 家の向かいの水路など、凍っている日のほうが多い時期もあった。
植物に限らず、生き物の生活史におけるイベントの中には、スイッチの必要なものがあるらしい。 たいつりそうの場合、新しい家の庭での寒さが花芽形成のスイッチを入れたのだろう。
ということで、たいつりそうはこれでよかったのだが、だめなものもあった。 緋ネムなどは、1回目の冬の寒さで完全にやられ、春に芽を出すことはなかった。 あれは、絶対家の中に入れてやるべきだったのだ。 植物でも何でも、向き不向きはあるということだ。
3月最終日、仕事をサボって比良山に登った。 仕事をサボったのは比良山に登るためではなく、免許更新手続きのためだったが、更新手続きがすぐに終わったのと、比良山ロープウェイとリフトの営業が今日までだったので、免許センターから帰って、あわてて山へ向かった。 比良索道が廃業を発表するより前から、一度ロープウェイに乗ってみようと、夫と話していたのだが、結局この日になった。
下界から見ると比良山系の稜線には霧がかかっていて、雨具を持って上がったのだが、上がってみると大変よい天気だった。 リフトとロープウェイで上がって、少しだけ散策して降りてきた。 リフト乗り場から家に戻る途中、いろんな木々の芽吹きを写真に撮った。 夜になって、次の入り口写真はどれにしようと思いながら写真を見ていたが、このロープウェイの写真を見るとなんとも切なく、芽吹きの写真たちはボツになった。
今、比良索道のホームページにアクセスすると、「大変残念ですが比良索道株式会社には春の訪れはありませんでした。」という、なんともさびしい営業終了の挨拶が現われる。
近所の駅へ向かう途中、畑のすみにやなぎが植えられている。 あちこちに植えられている。 理由はよく知らない。 何やなぎというのかも知らない。 調べていない。
やなぎが咲き始めた。 やなぎのつぼみは、ふさふさふわふわしていて、きれいだが、咲くと毛虫のようになる。 まぁ、毛虫も見ようによってはかわいい。
道端でも小さな花が咲き始めた。 山はかすんで見える。 黄砂が飛んでいるのか。 やっぱり春が来たんだな。
桃の節句なんだけど、横に咲いているのはうめの花。 先の入り口写真で「もうすぐだなぁ」といっていたつぼみが満開になった。
安易だけど、季節の写真。 桃の節句は私の生まれた日。 数年前、姑が私のために買ってくれた雛人形。
先日、うちでも光ケーブル通信が可能になった。 2階に置いたモデムの設定のため、夫が2階に自分のiBookを持って上がってきた。 夫のデスクトップにはいつも、夫が自分で撮った写真が飾ってある。 白い梅が咲いていた。 「もしかして、うちの梅もう咲いたの?」と聞くと「うん」と言うから、ベランダを見ると、鉢植えの梅の枝に白いものが見えた。 「あ、ほんとだっ」と言ってよく見ると、まだつぼみだった。「なにが、あ、ほんとだ、やねん。 あほちゃうか」と馬鹿にされた。 夫のデスクトップは去年の写真だった。
と、いうようなことがあって一週間、もう咲くかと思っていた梅はまだ咲かない。 写真は去年2月入り口に飾った梅のつぼみである。 もうすぐだなぁ。
先の冷夏の後、この冬は暖冬らしい。 寒いのは苦手なので冬が暖かいと少し助かるが、やはり寒くなるべきときに寒くないのは不安である。暖冬だけれども、暮れに2回ほど雪が積もった。
写真は最初の積雪のときのものだ。 15cmあるかないかだったが、いつも比良写真を撮っているあたりは一面の田んぼで、すべてが真っ白になった。 曇っていたのに(いや、まだ雪が降りしきっていたときかもしれない)、雪面がまぶしくて、目が痛かった。
自宅と田んぼの原(?)を隔てる細長い林の縁に、さねかずらが絡まっている。 晩秋に、夫がその存在に気がついた。 真っ赤な実が目立ったのである。 常緑なので晩秋にも葉っぱが残っていて、さらに対生(枝につく葉っぱが、互い違いにならずに2枚ずつ向かい合ってついていること)なので、図鑑で探すのは楽だった。 対生の木は割と珍しい。 でもつる性の木本は、対生のものが多いような気がする。 「気がする」だけで、実際どうなのかは知らない。
緑の葉っぱと赤い実、そして白い雪。 お正月っぽくって良いではないか。 なぁんて、あいかわらず安易なのであった。
関西あたりでは家の庭などによく植えられているが、どちらかというと非常に地味な木である。 木自体、背が低く、大きな木の陰に植えられる。 自生しているのも、そういうところだ。 林の中の薄暗いところ。
5月頃に花が咲く。 これまた小さくて地味な花である。 地味な上に、葉っぱの下に隠れるように咲く。 隠れるように、しかしびっしりと大量に咲く。 でもって、今ごろの時期に黒い実をつける。 赤ければ、もう少し目立つだろうに。
奈良へ遊びに行ったとき、山寺の庭で撮った写真である。 実っているその横に、来年の花の準備ができている。 見習わないといけない、のかな。。。
かなり最近まで、ジョウログモだと思っていた。 水遣りに使う蓮口のついたじょうろとクモにどんな関係があるのかわからなかったが、ジョウログモだと思い込んでいた。
実物を見たのは3〜4年前の秋、調査現場でだ。 ダム湖沿いの道路際の落石防護柵の裏に、1〜2mおきに10匹ほどが、ずらっと並んで巣を作っていた。 じめじめしたところだったので、そういうところの好きなクモかと思ったが、この写真は比較的からっとした日当たりのよい林縁である。 とにかく、大きくて気持ち悪いといえば気持ち悪いが、派手できれいだった。 なぜか急に、「そうか、女郎蜘蛛か」と納得した。 そのときも喜んで写真を撮ったが、薄暗かったこともあってひどいピンぼけだった。
あでやかな色だから女郎蜘蛛、とこの文章を書こうとして念のためネットで検索したら、女郎蜘蛛のほかに、昔は身分の高い人が鮮やかな服を着ていたということで上臈(じょうろう)蜘蛛という説もあるらしい。 ジョウログモっていうのもあながち間違いではなかったってことだ。 蓮口のついたじょうろは完全に間違ってるんだろうけど。
背後に見える赤い実は、おそらくヒヨドリジョウゴ。
朝晩涼しくなってきた頃から、モズの高鳴きが聞こえるようになった。 しかし、朝の通勤時に駅で見かけるモズは、高鳴きしない。 セキレイのような鳴き方をする。
モズは他の鳥の鳴きまねをするらしい。 独りでぶつぶつまねをしている。 変なやつだ。
うまくピントを合わせられないうちにそっぽを向かれ、じきに特急が近づいてきて飛んでいってしまった。
稲刈りが終わった頃から、ヒガンバナが現われはじめた。 一面に、ではないけれど、いたるところに咲いている。 田んぼのあぜばかりでなく、雑木林の藪の中、JRの高架の下などにも咲いている。 ヒガンバナは日なたに咲くものと思っていたから、意外である。 といっても、私が見る時間帯に陰になっているだけなのかもしれない。
これまでヒガンバナは、1本の軸の先に1輪の花が咲いているものと思っていたが、実は5〜6輪の花が放射状に咲いていることに、今ごろ気がついた。 つぼみの状態から見るのも初めてのような気がする。
「たいふういっか」というと、台風にも父ちゃんやら母ちゃんやら姉ちゃんやら兄ちゃんやらおるんか、などという笑い話がよくあったが、私も似たようなことを考えていたような気がする。
今度の台風は本州へは上がってこず、太平洋上を進んでいったらしいのだが、その影響と思われる風はすさまじかった。 日曜の朝からすごかったのが、ずっとおさまることなく夕方になって激しさを増し、湖西線はうちの周辺の区間で運休してしまった。 湖西線の運休基準は風速25m/sというから、ちょっとした台風の直撃を受けたようなものである。 夜にはいい加減おさまるかと思いきや、風は夜通し吹きつづけ、翌朝も電車は始発から動かなかった。 電車が動いていないのをいいことに(仕事も一段落したのをいいことに)、その週明けはのんびりと出勤した。
湖西線は、なぜか通勤時間帯には新快速の運行がない。 のんびり出かけると、大阪へ直通の新快速に乗ることができる。 普段は使わない、新快速の止まる駅に出向いた。 強風の後だからか、山が本当にくっきり見える。 いつもと違う景色でおもしろい。 線路に沿ってたくさん並んでいる、架線を支える鋼製の枠、なんという名前なんだろう? 今度、知り合いに聞いてみよう。
田んぼシリーズになってしまうかもしれない。 田んぼの隅に生えている、おもだかという水辺の植物らしい。 ○○おもだか、とつくのかもしれないが、ちょっと調べる余裕がなかった。 またどなたか教えてください。
名前の由来は、三角形の下が割れたような葉っぱの形が、人の顔を思わせるからだという。 昔の人は変わった顔の形をしていたもんだ。
このあたりの田んぼは田植えが早い分、刈り取りも早いようだ。 9月上旬だが、もう稲刈りが始まった。 刈り取られるまでにこのおもだか、子作りを完了できるのかどうか。
自宅の前の雑木林をくぐると、駅まではずっと田んぼが続いている。 田んぼのへりでクモが巣を張っていた。 今回もクモの名前はわからない。 どなたか教えてください。
稲の間に入ってくる虫を狙うのか、それとも稲の間から出てくる虫を狙うのか。 多分両方だな。
このあたりはほかの地域より比較的田植えが早いらしい。 8月はじめには花が咲き始めた。 しかしこの夏、写真のような青空がなかなか見られない。 過ごしやすいが、不安な夏である。
なにせ素人の同定なので、ほんとうにメマツヨイグサかどうかはわからない。 花の大きさや、茎の感じを手元の本やネット上の情報と見比べて、そうかなとおもっただけである。
家の隣が空き地で、しかし裏の家の人が草ぼうぼうになるのを嫌がってか、わりと頻繁に草刈りをしている。 その中で敷地の端っこ、うちの塀際のメマツヨイグサほか数本の背の高い草が残されていた。 花が咲くのを期待されて、刈り取られずに済んだのかもしれない。
マツヨイグサの仲間は夜咲く。 夜に咲くと競争相手が少なくてよいのだそうだ。 競争相手が少ないから、花の色は白っぽいだけで虫には十分認識してもらえるそうだ。 それならこんなにきれいな黄色はもったいないのかもしれない。
夏の夜に咲いて、朝にはしぼむ花は、少し切ない感じもする。
本当はひとやすみなのかどうかよくわからない。 ある休みの日に2階のベランダのサンシュユの木にとまっていた。 ずいぶん長い間とまっていた。 私が写真を撮って、それから夫を呼んできて夫が写真を撮って、その間ずっととまっていたようだ。 トンボの名前はよくわからない。 わかる方いたら、教えてください。 しかしこの写真で同定は難しいかもしれないね。 大事なところがほとんど写っていないので。
数十分後、ガレージの屋根の上で、同じ模様のトンボが羽根を広げて伏せていた。 様子がおかしいのでよく見ると、アブのでかくてスマートになったような虫に押さえ込まれていた。 胸にはそのアブもどきの鋭くて長い口が突き刺さっていた。 ベランダにいたのと同じ個体かどうかはわからないが、何しろ生きていくのは大変である。
自宅から最寄駅まで、JRの高架脇の道を通る。 高架の下は遊休地と言うのか、柵で立ち入りが制限されているが、何に利用されるでもなく草ぼうぼうである。 ぼうぼうの中にいろんなものが生えていて、ぼうぼうの端っこにはどくだみが咲いている。
最近小さなデジカメを買って、いつも持ち歩いている。 朝の通勤時にどくだみを撮って、出稼ぎ先のPCのデスクトップの壁紙にした。 ある昼休み、同じ職場の女の子が「あの壁紙の白い花、なんですか?」と聞いてきた。 どくだみだと言うと、驚かれた。 名前やら薬草としてのイメージからして、あんな清楚な(?)花とは思いもよらなかったらしい。
ところで、私の実家の台所にはいつもどくだみの葉っぱが生けてある。 何かと思って母親に聞くと、におい消しに置いているのだと言う。 毒を以って毒を制する、か? 母親自身はどくだみのにおい自体、そんなに嫌いではないのだと言う。 人それぞれである。 私もそんなに嫌いではないけど。
自宅最寄の駅のホームからみずうみ側の眺めはこんな感じだ。 山側の眺めは比良近況にあるとおり。 毎朝こんな景色を見て通勤している。
自分の身の回りでちょっと異変があったからといって、世の中の動きには何ら影響はなく、まして季節の移ろいに関係のあろうはずもない。 ここ2週間ほどのうちに春の第二段階ぐらいが終わって、春というより初夏という時期になった。 と書いている今もストーブをつけているのだが。。。(朝晩は冷える)
自宅のベランダからの風景である。 道をはさんだ向かいに木立があって、その向こうは一面の田んぼ、そのさらに向こうに琵琶湖が見える。 木立を構成する木の多くはコナラで、芽吹いてきたのでだんだん向こうが見えなくなってくる。
水を張った田んぼが増えてきた。 若葉の間から水面が見えるというのはかなりおしゃれだと思う。
手前のアップの若葉は、ベランダに置いた鉢植えのサンシュユである。
本当は若葉の間から見える水面の写真にしたかったのだが、写真に撮ると電線がくっきり。。。ということで、なんだかサンシュユが主役の写真になってしまったのであった。
ひさびさに月ニ枚目の入り口写真である。 そう、なんだか余裕のある年度末を過ごしている。 今日までかもしれないが。。。
久々に京都の植物園へ出かけた。 以前と比べて遠くなった。 以前は山ひとつ越えればよかったが、これからはもっとたくさん越えないといけないから、なかなか気軽には行けなくなってしまった。
寒いといってもやっぱり春なのである。 植物園では春一番の花たちが咲き始めていた。
みつまたはじんちょうげの仲間らしい。 確かに花の香りはじんちょうげによく似ている。 ただしじんちょうげと違って、花に顔を寄せないと香りはわかりにくい。 で、今日は嗅いでくるのを忘れた。 春先、細い枝の先に、15〜20ほどの細長いつぼみが固まりになってぶら下がっているのを見ると、いつも作りかけの蜂の巣を思い出してしまう。
いつも比良近況の写真を撮っているあたりで回れ右をすると、こんな風景なのである。 実は、ここの梅の木の存在は最近まで気づいていなかった。 毎朝駅まで自転車で通う道なのだが、ちょうど急カーブでハンドルを切り返しながら急坂を下って行くところなので、周りを見る余裕がなかったのだろう。 雨の日に傘をさして歩いていて、初めて気が付いた。 ちょうど咲き始めたところだった。
湖西線は、京都大阪から日本海へ抜ける特急の通り道である。 トワイライトエクスプレスは大阪−札幌間の寝台列車で毎日1便運行している。 かなり豪華な列車らしく、もっぱら新婚旅行客が乗るのだとか。 一度くらい乗ってみたいものである。 まぁ「日本海」でも十分なんだけど。
比良山系をバックに梅の花でも撮って表紙写真にしてやろうとやってきたところ、ちょうどトワイライトエクスプレスがやってきたのである。 札幌行きが昼過ぎに通過するのは知っていたが、大阪行きの時間は知らなかった。 あれあれどうしようともたもたしているうちに、ピンぼけで最後尾だけが引っかかったのだが、おもしろい(と思っているのは私だけ?)のでこっちを使うことにした。 まだ午前中なので逆光になり、独特の車両のデザインがよく見えない。 大阪行きなら順光になるだろう。 それはまた気が向いたら。
最近、土日は仕事もせずにみっちり休んでいるはずなのだが、何かと雑用に追われて散歩などほとんどしていない。 というわけで表紙に飾る写真もなく、家にあるものですませるのであった。。。
心待ちにしていた白梅が咲いたのであった。 寒い外に置いておいた方が、当然花は長持ちするのだが、やっぱり部屋へ入れてしまうのであった。 新居にはやたら大きな床の間があって、そこに置いてみるのであった。(写真撮影には暗すぎる場所だったので、写真は縁側で撮っている)
一日中暖房を入れない部屋ではあるが、やはり外よりはずっと暖かいのだろう。 一気に花が開きだした。 花が咲くのはうれしいが、平日ほとんど家にいない私は、花をほとんど見られないうちに花が終わってしまいそうで、なんだか哀しくなるのであった。 しかし、もう花が終わるまで外に出す気にはならないのであった。
うめを床の間に置いた次の夜、家に帰ると、家人が「におうぞ、くさいぞ」という。 床の間のある部屋から廊下にかけて、ほのかに香るのだという。 しかし、私は鼻の先を花のそばまで近づけないとほとんどわからない。 これまた哀しいのであった。
昨年1月から2月にかけて表紙写真に使っていた白梅が、今、異様にたくさんつぼみをつけている。 異様でもなんでもない、これが普通なのかもしれないが、これまでのことを思えば「こんなに咲かせて大丈夫か?」と心配してしまう。 しかし、たくさん咲くのはやっぱりうれしいに決まっている。
新居の片付けも済んでいないのに、友人の来阪を口実に奈良の春日山へ出かけた。
今年は10月に突然冷え込んだため、いつもより駆け足で紅葉が始まった。 冷え込みがきつかったせいか、色づき具合がいつになく良いらしい。 テレビなどでは「何十年に一回」などという話まででる。
友人来阪の予定は11月末。 例年の平野部ならちょうど見頃という時期のはずだったが、案の定「あと一週間早ければ。。。」という状況だった。 それでも十分きれいだった。 でも紅葉の写真はいまいちだったのと、もう時期はずれかなということで、今回の入り口写真は晩秋のイメージ。
気象情報によれば、この冬は暖冬らしい。 ほんとかな?
庭の柿の実が食べごろになった。 一昨年うなるほど実をならせたのが今年もまだ尾をひいているようで、昨年ほどひどくはないが今年も数は少ない。
5月に花が咲いたとき、アリがたかっていると書いた。 花が終わったあとになっても、花の頃よりも何倍も、幹から枝に行列をつくってアリがたかっている。 どうしたことかとよく見ると、小さな実のへたの周りに白いカイガラムシがびっしりこびりついていた。 アブラムシとアリの共生は昔からよく聞いていたが、アリはカイガラムシとも共生するらしい。(調べたわけではないが、今年はウメもやられたからきっとそうなのだ。 カイガラムシの種類は違うが、同じくアリがたかっていた) カキのカイガラムシもウメのカイガラムシも、歯ブラシなどでせっせと掻き落としたが、カキはやや手遅れだったらしい。 少なくない数の若い実が落ちた。 写真の実った実も、よく見るとしみがたくさんある。
葉っぱも色づいてきた。 しかし、この実の周りは青々としている。 どうしてだろう?
私だけではないと思うが、花の時期でないとその存在すら気づかない木というものが山ほどあって、きんもくせいなどもそのひとつにあげられる。 とにかくこの時期になると、姿は見えねど香りは強く、どこで咲いているのかと思えば自宅の玄関のへいの裏だったりする。
小学校低学年の頃通っていた学校の校庭の隅に大きなきんもくせいの木があった。 私は子どもの頃、植物などほとんど関心がなかったのに、それがきんもくせいだと知っていたのは、やはりその香りが強烈だったからだろう。 トイレの芳香剤と同じ香りだったからかもしれない。。。 台風の次の日などには校庭の水溜り一面が橙色の花で埋め尽くされていたのも印象的だった。
そのきんもくせいは根元のところで二股に分かれていて、2本の幹とも子どもの手で一抱えほどの太さがあった。 毎朝学校へくるとき、正門から校庭を横切り、校舎へ向かう途中にその木があった。 2本の幹の間をまたいで行くのが日課であった。 そういえば、昼休みに校庭で遊んだあともまたいでいたような気がする。 別に子どもの間でそういう行動がはやっていたわけではなく、私以外の子どもがまたいでいるのを見たことはなかった。
ある昼休みの終わり、いつものようにきんもくせいの幹の間をまたいだあと、なんだか指にやわらかい感触があった。 なんだろうと思って何気なく見ると、ふわふわの真っ白い毛虫が私の中指の腹にしがみついていた。 そのあと絶叫して毛虫を振り落としてから走ったのが何mだったのかは記憶にない。 関東地方でアメリカシロヒトリが大発生していたころだった。
。。。と、話が脱線したなぁ。 夜になった今も、開けた窓からかすかに香ってくる。
くずもち、くずきり、くず湯は葛の根っこから採れるでんぷんで作られる。 葛根湯も葛の根っこから採るんだったと思う。 身体を温める作用があるらしい。 林縁など明るい場所が好きで、木や電柱、時には道路標識などに絡みついて這い上がってはびこり、あたり一帯を大きな葉で覆うため、法面緑化の世界などではおそろしく嫌われている。 こいつが出てくると、当分は他のものが生えてこなくなるのだ。
マメ科の植物だというのはなんとなく知っていたので、こんな感じの花だと想像はしていたが、去年ようやく本物を見た。 思ったより色がきつくてあでやかである。 派手とも言う。 しかし、葉が大きすぎて目立たないのだろう。 鼻を近づけると、ぶどうを思わせるような甘い香りがした。
うちの近所でも、学校のグラウンドの塀一面を覆っているが(あれはどうもわざと覆わせている感じがする)、まだつぼみも見当たらない。 しかし、山ではそろそろ咲き始めるのではないだろうか。 秋の気配ってやつか。
あかめがしわは、このあたりでは荒地に一番に生えてくる木のひとつだ。 荒地というか、コンクリートで固められた川べりだの塀際だの、夏にはあっちっちなところに独りで生えてくる。 写真は雌株らしい。 とげを集めたような房は花の跡で、このあと生長して実になるのだろう。
毎年春から夏にかけて、梢端に現われるビロードのように毛むくじゃらな赤い新芽はかわいらしいが、その後大きく広がったぺらぺらの葉はどうも好みではなかった。 しかし、自分が以前に土砂崩れ対策を設計した山へ行くと、私の設計を無視して種子を播かれたらしい萩の仲間で占拠されたヤブの端に、数株のあかめがしわが大きく育っていた。 崩れた山に林が復活する第一歩だ(と、私は思っている)。
というわけで、大きくなったあかめがしわも好きになった私である。 単純やなぁ。
夏、山に咲く花はどうも地味なものが多いような気がする。強い陽射しの下で、地味な花をたわわにつけて、大きな葉っぱをぶら下げて、風に吹かれて枝をゆっくりと揺らす。そんなのも夏らしくて良いよねぇ。
なんだか、非常にありがちな写真になってしまったが。。。 自宅庭にあさがおが咲いた。
去年植えたあさがおのこぼれだねが、春に芽を出した。 ひとつところに大量にこぼれていたらしく、密生状態だったのを放置していたが、それなりに育ち始めた。 南向きの窓の下から生えてきたので、普通であればそのまま窓の前を登らせてちょうどいい緑陰、としたいところなのだが、そこは物干し場であった。 「あさがおに つるべとられて。。。」といえば風流だが、家事の一つもしていない私が家人にそれを強要するわけにもいかない。
伸び始めるとあっという間に窓の下まで届く。 仕方ないので夫が横方向へひもを張り、上へ伸びようとするあさがおを毎日横へ誘引してやった。(で、結局私は何もしないのであった)
あさがおって、2年目の種でも十分立派に咲くんだな。 私がもう少し早起きであれば、もっと風流を楽しめるのだろうが。。。
少し前の写真だ。 ちょうど梅雨入りを告げる雨が降り出した頃、知り合いに呼ばれて、近所にある出身校の試験地へ出かけた。 補強土の実験をするので見ないかということだった。 呼ばれた時間ころに行くとまだ準備ができていないということで、待っている間、試験地の中をうろついていた。
私が試験地で覚えているのは毎春恒例の新入生歓迎の野外コンパくらいで、実際に試験地に何があるのかはほとんど知らないのだが、見本林などがあるらしい。 大きな池があって、池のふちにはメタセコイアの見本林、その他日本には自生していない木々が地味な、しかしよく見るときれいな花を咲かせていた。
池には一面のすいれんの葉。 しかし、この葉の込み具合はどうだろう。 あとからあとから、他の上に開いて少しでも有利な場所を確保しようとしている。 そのすさまじい生存競争のもう一段上で、なにごともなかったように静かに花が咲いていた。
たぶん、何も考えていない。 せいぜい「はよ、エサ来んかいな」程度だろう。
庭のウメの木にはりついている。 うちのウメはあまり日当たりのよくない湿っぽい場所にあるので、エサを待つにも過ごしやすいのだろう。 よくはりついている。
撮影に使っているデジカメのレンズからの最短焦点距離は4cm。 寄せてもまったく意に介する様子がない。 身の危険を感じないのか、それとも見えていないのか。 まったく何を考えているのかわからない。
まったく陳腐なネーミングで失礼。
数年前に園芸店で買ってきた矮性の実なりくちなしの剪定枝を、挿し木したら活着率のよいこと。 (といっても、活着したものより失敗した枝のほうが圧倒的に多かったけど) 2年目くらいからもう花もつけはじめる。
その二世株たちのうち3株が、今年はほぼ同時に花をつけたので、並べて撮ってみた。
秋に橙色に実る柿の花である。 じつは、まじまじと見るのははじめてである。 緑色のがくばかりが目立つので、こんな色の花だとはまったく知らなかった。 香りは、。。。かぐのを忘れた。 わりと近くまで寄ったけど気づかなかったので、香ってもかすかなのだろう。
アリがたかっている。 花の奥のほうにはすでに2〜3匹もぐりこんでいる。 どうやって見つけるんだろう。 やっぱり普段からの情報収集?
ウツギの仲間だと思う。 植物園での写真だが、ヒメウツギとウツギが白い花を咲かせていて、その違いがわからなかった。 で、写真の株には名札がなかったもんで。
学生のころ樹木識別実習というのがあった。 山道を歩きながら木の名前をあれやこれやと教えてもらうのである。 このへんの山にはウツギとノリウツギ、タニウツギがあって(ヒメウツギってのは、あまり記憶にない)、ウツギ、というと「何ウツギや?」というわけで、仲間内ではいつの間にやらウツギのことを「ザ・ウツギ」と呼ぶようになった。 でもって、「ザ・ウツギ」を図鑑で調べるときに、索引の「さ」の項を探したやつがいたとかいないとか。
植物園は花盛りだった。 花にはもちろん蜜を吸いに来るはちなどもたかっているのだが、写真のようにクモや肉食の昆虫なども待ち構えている。 きれいな花にあるのはとげだけとは限らないということか。
クラシックギターのごく初心者向けの練習曲のひとつに「きんぽうげワルツ」というのがあった。その曲を練習していたころは、きんぽうげなんて名前しか知らなかった。黄色い花だということは知っていたようだ。多分、童話などで読んだのを憶えていたのだろう。ヨーロッパだのロシアだのの大陸の平原一面の黄色いお花畑など、想像しながら弾いていたような気がする。
実際は、日本でも田畑のあぜにごくありふれた花である。この写真はあぜではなくて、幹線道から少し山に入った歩道端だが。写真ではわかりにくいが、花びらがてかてか光って、すこし金属っぽく見える。
今年は春が早くきた。木々の芽もいつもより早くひらきはじめたような気がする。幸い仕事もいつもより早く干されたので(。。。)、いろいろ見てまわりたいと思っている。
写真は自宅庭のかえで。よそでは花も見たのだが、この株には見あたらなかった。栄養状態が悪いのか。
今年は本当に春が早く来た。地べたを見ていると、ふだん気にも留めたことのない雑草たちが花を咲かせている。写真の花など、直径が5mmにも満たない。 よく見るとかわいい。 でも、名前がわからない。 どなたかご存知の方、教えてください。
這いつくばって春の目印をあれこれ探してみたい気分である。 年度末業務もあと一息。
この写真を掲載後、里人さんがネット上で調べて情報をくださった。アブラナ科タネツケバナだろうとのこと。しばらくしてまたこの花を見たら、確かにアブラナとそっくりな形のさやをつけていた。
去年の6月前半の表紙のゆすらうめは、今はこんな具合である。もう芽吹いてきた。今年は暖かいから芽吹きが早いのか。しかし、去年までいつ頃芽吹いていたのか覚えていないので、早いか遅いかわからない。ただ、花が咲くのは4月下旬、開花は展葉とほぼ同時期だったような気がするから、やっぱり相当早いのか。
ぢつはこのように冬芽が密集しているタイプはあまり好みではない。しかしそれは私の勝手な好みであって、ゆすらうめにはそれなりの生存戦略があってこうしているんだろう。
あ、去年漬け込んだゆすらうめ酒、まだそのままである。飲まなければ。
またうめである。おまえの写真はうめしかないのか、と言われると、そうかもしれない。この時期、私の頭の中はうめの花ばっかりである。最近あまり出歩く機会がないので、家にあるものの写真を撮ってお手軽に済ませているといえば、そうでもある。
うちで2番目に咲く、鉢のうめである。去年の2月の表紙写真にも出した。ここ数年ずいぶん虐待した(病害虫が発生しているのを放置していた)ので、相当に樹勢が弱っていた。去年の春に数年ぶりに植え替え、夏の水遣りも夫が欠かさなかったため(おととしまでは私が欠かしまくっていた)、少し樹勢が回復したのか去年よりは花の数が増えた。しかし買ってきた頃に比べると、まだ花数も少ないし、一つ一つの花も心なしか小さい。まぁ、少しずつ元に戻していくのだ。
しかし、この写真のうめたちはきゅうくつそうだねぇ。
ぢつはこのうめ写真は、夫にけだもの呼ばわりされていた。けだものって何やねん。でも、確かに私もこの写真を見ながら、森村泰昌の「ひまわり」を連想していた。けだものではないけど。
先のうめの写真が我ながら出色だったので、次の写真と取り替えにくかった。しかし、次の写真はいかにも冬の間しかつかえない写真なので、さっさと取り替えてしまった。
1月下旬の朝、少し雪が積もったときの写真である。冷たそうだねぇ。咲いた花やまだ固いつぼみはよかったが、ほどけかけたつぼみは、この雪やその前後の冷え込みで痛んでしまったものもある。
しかし、この冬は暖冬か。道路に積もるような雪がまったく降らない。出かける用事がめっきり少なくなった私としては、屋根のといが壊れない程度ならそこそこ積もってもらってかまわないんだが。。。
今年はベランダのうめがえらく早く咲き始めた。先週はじめ(1月15日ころ)には一輪目が開き、泊まりの出張から帰ってくると、もうどんどん開いている。写真のうめはうちでいつも一番に咲く白梅だ。確か、5年程前に長浜盆梅を見にいったときに土産に買って帰ったものだ。香りはあまり強くない。花のそばまで顔を近づけないとわからないが、やはりうめ独特の甘い香りがする。
喜んでデジカメで何枚か写真を撮った。私は自分が背が低いからか、低い位置からの仰観が好きである。小さな鉢だからバケツを裏返した台の上に載せて、自分はベランダにひっくり返って写真を撮った。寝そべってうめの花を見ていると、言いようもなく幸せな気分だった。
写真を撮っているうちバッテリーが切れてしまったので、いったんデータをPCに取り込もうとしたら、なんとデータの入ったコンパクトフラッシュが読み取り不能になってしまった。うぅ。。。うまく撮れていたかどうか知らないが、当然写真は全部ぱぁである。その後2枚、本体メモリで撮った写真のうち1枚が思った以上にうまく撮れたので、今回の表紙写真にした。
京都府立植物園の西の外周路のトイレの脇に、さほど大きくない桜の木がある。いつも11月頃になると八重の白い花がちらほら咲いている。最初見たときは狂い咲きだと思った。次の年も咲いている。で、何年かすると木の下に看板が立った。この桜は晩秋から早春にかけて咲くものらしい。小福桜と名づけられている。「こふくざくら」なのか、「こぶくざくら」なのかわからない。だから、今回の表題はひらがなで書けなかった。何かと何かの雑種と考えられているとか。何かと何かは忘れてしまった。
そういえば、うちの近所にも冬場に咲いている桜の木がある。あれも小福桜なんだろうか。
冷蔵装置のついた車などなかった昔、日本海から峠をいくつも越えた先の京都まで海の幸を届けるのに、生のままでは当然無理だった。たとえば鯖であれば、若狭の港で採れたてのものを酢じめにし、押し寿司にして京都まで運び込んだという。不勉強なので、情報は正確でない。押し寿司にするのは港ではなく、どこかの峠でだったかもしれない。
道路網も輸送機関も発達して、京都から日本海は近くなったけれど、鯖寿司は今も作られ、うちでは正月などのご馳走になっている。
ということで、表のカウンタ9999番をご覧になった人への記念品は、この鯖寿司である。1月10日現在、カウンタはまだ9800を越えたところで「その日」はまだこないが、この写真はいまいち胃もたれを催しそうなので、引っ込めることにした。
先日やっと一息ついたので、植物園など行ってきた。 サクラの木の下には当然サクラの落ち葉が積もっている。 もう少し早い時間だと葉っぱについた水滴は白かったのだと思う。
最近気づいたのだが、落ち葉は結構香りがある。 みんなに踏みしだかれるからか。 もちろん、サクラの落ち葉は桜餅の香り。
仕事が片付かないのだ。そうこうしているうちに、秋が山から下りてきて、街へ去ってしまう。山にいるうちに会いに行きたいのだけど。。。
というのは、前回入り口写真のコメントと一緒。しょうがないので向かいの小学校の生垣の写真。赤いのはトウカエデ。おそらく近所の公園から種が飛んできて生えてきたのが放置されているのだ。緑色のはよくわからない。いわゆるシンパク類。青いのは秋の空。白いのは雲。
そうそう、最近ずっとPCのデスクトップを無地にしていたが、ここと同じ写真を壁紙に使ってみた。飽きるまでしばらくそうすることにしよう。
(11/16追記) 一週間もたたないうちに貼り替えちゃった。写真撮ってからトウカエデがもっと赤くなるんだもん。残念ながら、今度は白い雲が入らなかったしちょっとピンぼけだが、色が割ときれいなのでよいことにするのだ。ちなみに貼り替え前の写真はこっち
仕事が片付かないのだ。そうこうしているうちに、秋が山から下りてきて、街へ去ってしまう。山にいるうちに会いに行きたいのだけど。。。
庭の柿は去年摘蕾も摘実も一切せずに、枝の支えが必要になるほど実らせてしまったので、今年は花のひとつも見つけられなかった。でも、秋になると私には見えないこずえの先に、6つほど実をつけていたらしい。
品種は知らない。店に並んでいるのと比べても、まったく遜色のない平べったい甘がきだ。
越畑というのは地名である。京都嵯峨野あたりから、府道京都日吉美山線を日吉町へ向かう。小さな集落どうしをつなぐ細い山道である。学生時代、バイクでこの道をえっちらおっちら、ゆっくり登っていくのが好きだった。保津峡を越えてから3つ目の集落が越畑で、京都市と日吉町の市境に位置する。うっそうとしたスギ林が急に開けて、写真のような田園風景が広がる。平野部の田んぼとはまったく雰囲気が違う、私にとってはなんだか不思議な風景だった。
就職して、結婚して、こんな山道をのんびり散歩する機会がほとんどなくなってしまったが、先日自宅から比較的近い現場をバイクで見に行く機会があって(9月中旬のやまじのほととぎすを見た現場である)、その帰りにちょっと回り道をしたのだ。
下界はまだ暑かったけれど、標高の高いこのあたりはバイクに乗っていると上着を着ていても肌寒いほどで、なんとなく秋めいていた。この写真をとったのは9月上旬、今は稲の刈り取りも終わっているかもしれない。
半月ごとの更新を怠ってしまった〜。いい写真がなかったのである。これと思う被写体はあったのだが、撮った写真がいまいちで、撮りなおす機会がなかった。
と、いいわけはおいといて、仕事で出かけた現場でいい(と自分が思える)写真がとれたので、これが新しい表紙写真。
建設中の道路法面の脇にこっそり咲いていた。ちょうど右の写真のような具合(この株と表紙写真の株は違うかもしれない)。
ほととぎすは夫が好きで庭に植えているので知っていたが、まだら模様の花がもうひとつ好きになれなかった。しかし、こうやって草むらの中にひっそり咲いていると、なかなかけなげでかわいい。
家に帰って夫に写真を見せると、これは「ほととぎす」ではなく、「山路のほととぎす」だと言われた。確かに図鑑を見ると、枝ぶり(?これは草なんだけど)が、ほととぎすはしだれる感じなのに、山で見たのは株立ち状態だ。花の形、まだら模様も微妙に違う。無印ほととぎすよりまだらの密度がひくく白っぽいので、かわいいと思えたのもあるかもしれない。
しかし、うっかり踏んでしまいそうなところである。足腰の弱い私など、よろめいてその上にこけてしまいそうであった。工事はまだまだ続くが、法面屋さんや検査官やらに踏まれてしまわないことを祈るのであった。
団地などの街路によく植えられている、スイカズラ科の低木。中国原産種を園芸品種として改良したものらしい。正式名はハナゾノツクバネウツギで、アベリアというのはツクバネウツギの属名だそうである。
1cm程度の小さな桃色がかった白い花が、次から次へと咲きつづける。この写真は7月初めに撮ったものだが、これからの時期もまだまだ咲きつづける。
写真は近所の遊歩道に植えられたものを撮ったのだが、先週末あたり、府の委託業者が遊歩道の植木をいっせいに剪定していった。このアベリアも真四角に切りそろえられた。花は主にぴょんぴょんと跳ねだした枝先についているものだから、ほとんどすべて刈りとられて、なくなってしまった。どうせ刈り取られたら刈り取られた分だけ伸びだしてくるだろうけど、花盛りになっているものを画一的に刈り取らんでもなぁ、と思うのであった。
再び、はすである。品種はよくわからないけど、琵琶湖東岸烏丸半島の大群落の一輪である。よく見ると、端っこのほうにトンボが止まっていたりする。
最近の表紙写真がくもりやら雨やらの薄暗い写真ばかりだったので、やっと夏らしい明るい写真が用意できてよかった。暑苦しい、という気もするけど。。。
今回はちょっと趣向を変えてみた。いや、あんまり植物ばかりやってると、早々にネタが切れてしまいそうな気がしたので。。。
私用で週末に実家へ帰っていた。愛媛の松山である。いつも神戸からの夜行フェリーを使う。寝ている間に着くので、効率的な感じがする。何より安い。
写真は、乗ってきた夜行フェリーが松山観光港に到着したところである。この朝の瀬戸内航路はかなり霧が濃かったらしいが、何とか航行できる程度だったのだろう。
この航路は松山が終点ではなく、乗客や車両の乗降の後、大分へ向かう。このときはまだ松山上陸の車両を下ろしている最中だが、手前にぴかぴかのトラクターが並んで待っている。地元の農機メーカーが九州へ出荷する製品だろう。
そんなものどもも見える、朝の港なのであった。
はすの花というのは、丸みがあって、ほんのりと紅色で、なんとも言えず、よい。手のひらで撫でてみたい、そんな感じである。が、実際には撫でたことがないような気がする。下手に撫でて、花びらでも落とされたらかなわないような気がするからだろうな。
夫に「蓮茶」というものを教えてもらった。はすの花は朝開いて夕方閉じることを3回ほど繰り返して花を終える。最初に花が開いたとき、花の中に茶葉を入れる。夕方に茶葉を包んで花が閉じ、次の朝にはすの香りを含んだ茶葉を朝露ごと取り出していただくのだそうである。
最近、夫がはすを育てている。といっても、最近芽が出て、いまやっと2枚目の葉が開いたところである。何年かしたら、私も蓮茶を楽しませてもらえるんだろうか。
梅雨といえば、あじさいだ。と思うのは私だけだろうか。吉野方面への出張の帰り道、大宇陀辺りの道端で撮った写真である。
私は6月の下旬に結婚した。結婚披露宴の会場を飾る花の希望を聞かれて、「あじさいとくちなし」と答えたら、どちらも水揚げが悪いということで却下されてしまった。で、結局何が採用されたのか、まったく思い出せない。短い髪を巻いて鳥の巣のようにした頭に、紅白のバラの花をたくさん挿してもらったのだけは憶えている。
そんなこんなで、わたしの結婚とあじさいとの縁はないように思っていたのだけれど、つい先日関東で暮らしている弟からのメールに、「あじさいの花を見て、もうすぐ結婚記念日だというのを思い出した」というコメントがあった。少なくとも彼の頭には、あじさいが梅雨期に咲く花だということと、自分の姉が梅雨期に結婚したということが、関連をもってインプットされているらしい。
自宅の庭に生えているゆすらうめである。例年、4月中旬から下旬にかけて白い花が咲き、5月下旬から6月上旬の今ごろ、食べごろを迎える。甘酸っぱいが、あまり香りが強くないのでちょっと物足りない感じはする。ビタミンCが豊富だと聞いたことがある。
去年は非常に実りが少なかった。実が青いうちに、カメムシに汁を吸われてだめになったと思っていたが、単なる不なり年だったのかもしれない。そろそろ収穫しないと、ひよどりに先を越されてしまう。
越される前に収穫した。
1.5kgほど摘み取って、夫と半分ずつ分けた。夫はジャムを作り、私は焼酎に漬けた(なんかの昔話みたいだ。。。)。まだ木にはたくさん実が残っているが、今年はいまいち売れ行きが悪い。
どうも、ここのサイトにゆすらうめジャムあるいはゆすらうめ酒の情報を求めてきている人が多数おられるらしい。なのにほとんど情報がないのも申し訳ないので、味の感想など少しだけ。
ジャムはいまいちだった。やっぱり香りがほとんどないためか、単に甘いだけという感じである。作り方にもよるかもしれない。粒をつぶしてしまった(わざとじゃないが、事前に種を取るために形をつぶしたうえ、かき混ぜているうちにつぶれてしまったのだろう)のも、よくなかったかもしれない。
ゆすらうめ酒のほうは最近飲んでいるが、わりといける。やはり香りはほとんどないが、少しこくがある。ものの本によれば、ゆすらうめ酒は倦怠疲労に効くのだとか。ただ、その効果はあまり実感できていない。(2002.6.9追記)
府道京都広河原美山線(通称 堀川通)の上立売通〜上御霊前通区間で、イチョウと交互に植栽されている。中央分離帯に植えられているものは相当にでかい。高さ20mはあるだろうか。片側4車線ほどある幹線だが、道の広さにまったく負けていないうえ、並んだイチョウの背丈を大きく越えている。
5月ごろにチューリップのような花を咲かせるという話は聞いていたが、まだ見たことがなかった。たまたま堀川を通りがかったときに、そういえば今花期だと思って見上げると咲いていたので、バイクに乗って写真を撮ってきた。
あれだけでかい木に咲く花だから、当然手の届くようなところには咲いていない。見たところこぶしくらいの大きさだろうか。なかなかかわいらしいが、とにかく木がでかいので、こんなところに花が咲いていることに気づいている人がどれだけいるものか。(タクシーの運ちゃんも、私が言うと「ほんまや、イチョウだけやないわ」と言っていた。。。)
念願の自分専用デジカメ購入後、最初の入り口写真である。ネタ切れに苦しまなくてよくなる一方、安易な写真が増えてくる恐れはある。
それはさておき、やまぶきである。自宅近くの歩道沿いに植栽されている。やまぶき色とは、この花の色である。植栽されているものは、たいていこの写真のような八重咲き種であるが、この時期に山へ行くと、道路法面に一重のやまぶきがたくさん咲いている。そっちのほうが、好みである。が、今年は一重のやまぶきに会いに行く機会がなかった。
まだネタ切れに苦しんでいたときの写真である。やっぱり、京都府立植物園の花壇である。わたしゃ、それしかないんか。
私とチューリップとの特別な関係(?)については、野良猫のつぶやきでも参照してください。
またまた京都府立植物園である。はっきりいって、このときは入り口写真のネタ切れにかなり苦しんでいた。まだデジカメを持っていなかったので、昔撮った写真の中からスキャンニングしていたのだが、何せこの時期は毎年修羅場だから、写真自体が少ない。
ん〜なことはどうでもいいのだが、針葉樹の新芽はかわいいものが多いと個人的に思っている。「え?針葉樹?」と思った人。そう、いちょうは針葉樹に分類される。「なんでや?」と言われても、私も説明できない。図鑑でも見て調べてください。
これも、京都府立植物園だったと思う。ぼけの花というのは、なかなかあでやかでよい。やっぱり一重のものが好みである。最近気が付いたが、ぼけというのは花期が長い。下手をすると、うめが咲き出してから、さくらが散るまで咲いているんじゃないかと思うほどだ。そうでもないかな。
京都府立植物園の芝生広場の端に植えられたさんしゅゆの花である。
さんしゅゆの花を初めて見たのは、5年程前だったろうか。まったく初めて聞く名前だった。枝ばかりの寒々とした落葉樹の中で、そこだけが黄色く浮かび上がっている様を見て、いたく感動した。
あまりに感動したので、その次の春、大学の恩師の退官記念パーティにさんしゅゆの花束を贈った。注文した花屋さんは、何考えてんの、この子、というような面持ちで「その人は、そういう趣味なの?」と何度も念を押してきたが、強硬にさんしゅゆの花束を要求した。パーティには欠席したので、受け取ったときの恩師の反応はわからないが、一年ほど後に会った際、ちゃんとさんしゅゆのことを憶えてくれていた。だから、あれでよかったんだと思っている。
5年程前だったか、和歌山の南部梅林へうめを見に行ったときのおみやげである。本当は一重の白梅が一番すきなのだが、この八重絞りもなかなか清楚な感じでよい。
恥ずかしながら、これまで私は鉢植えのうめを2つ枯らしている。このうめも、持ち帰った夏にはカイガラムシにたかられているのを放置したり、ここ2年ほど植え替えを怠ったり、かなり虐待していたが、株が大きいためか何とか持ちこたえてきた。しかしとうとうこの春、この花を咲かせたあと、他のつぼみをほとんど咲かせることなく落とし、花が終わってから一ヶ月以上たっても葉芽が動かなかった。慌てて植え替えを行い、祈るような気持ちで毎日見ていたところ、4月に入る頃ようやく芽が動き出し、かなりの時間をかけて葉が開いた(一週間以上かかったんじゃないだろうか)。例年よりやや葉が少ないような気がするが、とりあえず普通に生育しているように見える。やっぱり、毎日水遣ってるだけじゃだめやんなぁ。。。
たしか、これを掲載したときには「植物園のつばき」といっていたような気がする。しかしあとから考えると、自宅の最寄駅近くの喫茶店脇に植えられているつばきだったような気がする。3年程前の写真なもので、記憶が定かでない。
この花は結構あちこちで見かける。品種名は知らない。(誰かご存知でしたら、おしえてください)
ところで、この喫茶店のつばき、株元近くに接木がされている。接がれているのは、なんと梅である。むちゃくちゃな組合せを指して「木に竹を接ぐ」というが、つばきに梅を接ぐのも大概である。でも接がれた梅はちゃんと育って、ちょうどつばきが咲く頃に一重の花を咲かせる。
滋賀県長浜市の慶雲館で例年行われている盆梅展での写真。雪の多いこの地域で、農作業のできない冬季、農家の人たちが手慰みに始めたという梅の盆栽が展示されている。どうやって館内に運び込んだのかと思うような迫力の梅たちが、座敷で花を競うさまは壮観である。ただ、人出もすごい。梅を愛でるのに、押し合いへし合いしないといけないなんて。。。